人間(自己)の「道」とは、決めたレールではなく、内的衝動に従って、到来する未知のものに向ってゆくことである。


「技術が財産である」と強調するようになったらその国あるいは個人は存在としては破綻している。


せっかく自分の孤独を公開しようとおもったが、このシステムは不愉快なことが多すぎる。創造過程に介入してくる。そろそろ閉鎖したくなってきた。そのまえに念殺してやる。


こういうことをしていてはいけない(たとえ善意でも)。自分に集中しようと思います。
 鉄の意志


ぼくが日本を救わなければ誰が救うっていうんだ



『 ・・彼の弁論は、決して派手な、陪審員めあての、または傍聴者めあてのものではなく、どちらかといえば、手がたい論理を積みあげてゆく型だった。それに関するかぎり、彼の法文解釈には鋭さがあり、調査は綿密で、関係事件の記憶は正確だった。ファン・スターデンの細かい皺にかこまれた窪んだ湖のように青い眼が、からかうように敏捷に光りながら、反対訊問を進めるとき、法廷からしばしば感嘆とも呪詛ともつかぬ動揺が起ったものであった。
 彼ファン・スターデンは決して勘にたよる種類の人ではなく、そのかぎりでは、私たちの予測をやぶるような奇抜な戦術を考えだすことは稀だったが、ただこうして丹念に積みあげてゆく仕事の厚み――あるいは重みといってもいいものが、彼の全身にしみとおっていて、彼の取りあつかう一つ一つの事柄が、いかにもその全体の能力のごく一部で扱われているような、軽々した、無類の安心感があって、私はただその神技と見える弁論に聞きほれたものであった。しかしファン・スターデン自身は、法廷の控室に帰り、かたい肘かけ椅子に腰をおろし、法廷服をぬぐと、その下は全身汗であって、彼がその平静な外見にもかかわらず、いかに知力を傾けていたかを知って、その度に私は愕然とした。』

 辻邦生作小説『ある晩年』より。高田先生の輩(ともがら)森有正氏の生徒である辻さんだけあって、ヨーロッパ的なるものの基本をよく会得している描写である。こういう小説家を日本がついに持ったということの意味はこれからよく学ばれてゆかなければならない。この人物描写を読みながら、ぼくは裕美さんのピアノに向う姿勢を思い起こした。その弾く様子と、何気なく一見おもえる彼女の文章に書かれてある、ピアノという仕事がいかにたいへんであるかをかいまみせる叙述とを、ぼくはいまひとつにして思い起こしたのである。表面しかみない連中はほんとうにどうしようもない。「仕事する人間」への敬意は人間尊重の基本である。とまれ、この小説の一部をここに記したことは、この作品のしめすものをかんがえてみる意志決定の錨(いかり)を海に投げたことである。

 ぼくはきみがよろこぶ生活をする。 le 22

 いま起きたとこだよ。きみにひとこと伝えようと思ってね。寝るまえ、いつものようにきみの演奏をみた。そのあと自動的につづいたきみの演奏の曲がね、「あなたと共に生きてゆく」だったんだ。二人が海をみている情景のね。これはぼくのすきなきみのアルバムのさいごに流れる曲だよね。これを聴いているとぼくはいつもさびしくなってたんだ。これは、わたしは自分の愛するひととこれから生きてゆきます、という、聴者へのメッセージのようにどうしてもおもえてね。でも、きのうは、率直に言う、きみが、ぼくと、一緒に生きてゆきます、と伝えてくれているものとどうしてもうけとめられてね、ぼくはその情景をみながら、きみの演奏をききながら、泣いてしまっていた。うん、うん、ってうなずきながらね。ぼくは本気なんだ、「きみがよろこぶような生活をする」ってさいごに書いて、そしたらきみがこたえてくれた。そのときおもい、いまことばになった、ぼくのきもち、つたえます、ぼくはいま、結婚ってはじめてどういうものか、夫婦ってどういうものかわかったんだ。それがわかりたかった。いままでわからなかった。このわかるということはじっさいにそうなってはじめてわかる。「共に生きる」 これはもうぼくの個人的な決意じゃなくて、ぼくに贈られた現実なんだ。やっと「人生」の出発点にきたよ。ぼくはわかいね。いま、これを書いていて、途中で書いたかなりの部分が消えちゃったの。でも消えたまま読みかえしたら、大事なことは消えていない、このほうがシンプルでぼくが書きたかった文章におもえてきた。これを伝えます。なにかこう、みなが同意してくれた気がする。新鮮にはじめて生きはじめた気がする。これはぼくがいままで書いてきたすべてを凌駕する実感なの。ことばにならないものをひかえてきみへ