いつものように、通常節から、この主題に関する文を再録する。650節から:


書きたくないことも書かねばならない。誰が戦争のことを言いたいか、怒りたいか。言わず怒らなくては巨悪が枕を高くして眠る。悪い奴ほどよく眠る。一番安泰だからである。集合容喙被害者は、おかげで「今生は失敗だった。次生に期待。」と口にしながら「命のある限り生きる」と、自殺をこらえて生きている。絶えず理不尽な周りからの〈屑、はよう死ね〉という酷い〈評価〉に曝されながら。上の言葉を口にすることがどんなに痛切か健常者にわかるだろうか。ぼくに到っては創造主そのものに絶望しているのである。人を本来の正常態でなくしておいてその不本意なぶざまさや、普通なら問題にもしないくだらないことで〈評価〉し〈嘲弄〉することは絶対してはいけないことなのである。これに同調する非人情者は、原因者と同列である。安易な慰めや激励や此の世の楽観的肯定者も、「悪い奴を安眠させる」ことに与しているというわかりきったことがなぜわからないか。なぜ共に怒らない。怒る者しかぼくは信用しない。あとは悪の協力者だ。イエスは怒る者であったことは証言されている通りだ。愛のある者は怒る。

 ぼくがいまの身体状態でこれだけ筋の通った文を書けるということは、知性はたしかに身体から独立しているということらしい。奇蹟だ。

 ぼくの周りの連中はかんじんなところの感受性、精神が、やはり以前のようでないことは、神に誓って断言する事実である。そのうえ悪魔と呼ぶしかないものから、ふつうならかんがえられない〈情報〉をインプットされて動いている。アンドロイド・ロボット。半端人間。魂が以前のように本当に自立していない。魂の根っこで(ユングの表現を借りれば)集合無意識的に牛耳られている〔この連中による、個人の私生活への容喙が、わたしが「集合(的)容喙現象」と呼ぶものだ〕。ほんとうにこれを許している創造主はばかだ。