無関心というのは相対的なものであって、関心が或る一点、一方向に集中していることの裏表現だったりするが、本人さえその集中に気づいていない場合がある。勿論、明確に意識している場合も。こういうとき、多くの場合、他人による指摘は無益な雑音でしかない。人間はだいたい二つに分かれてくる。このようなプロセスにおいて社会に合せてゆく者、反対にますます自分に回帰集中する者。「人にとって狼である人」は一見親切な創造主の傀儡であると言えよう。「自らのイデアに忠実な者」は深い無関心を蔵している。これはエゴイズムとか言行背理とか言われる。コンセプト主義を排する盾である。こういう言葉が御馳走だろうか。薔薇の写真を眺めてるほうがいい。「あなたは何のかかわりがありますか、わたしの時はまだきていません」っていい言葉だね。