きみを、わすれない。

これは最高の倫理義務である

霊魂は個別的であると同時に繫がっている これはけっして受動的所与ではない 人間が魂であるための義務である


祈りは本来これ以外のものであってはならないとぼくは思う
想起である祈りは愛の最高の創造的行為である


具体的にはぼくはいま泉水さんのことを思って(想って)いる
ああいうかたちで終わったひとを死後に知ったことによって。
霧のなかから徐々に現れてくるようなぼくの言葉にしたがえば、この思い(想い)はけっきょくぼく自身の魂のためなのだよ、と言葉は言っている
 誰も、自分は死のこちら側(手前)にだけ居ると言うことはできない それがわからないなら何も語れない
 
 ぼくの言葉はけっして本性が断片ではない。全体がその時々に見せる形のひとつひとつずつなのだ。その各々の形に既に本質が示されており、それによって言葉は全体に密着している。これが生ける体系(思想)である。
 ぼくの想念は、日々のあらゆる契機から本質を感知し、真理の全体に入ってゆくようにはなっているようだ。


〔言うまでもないことを書かなかったが、ひとりを想う(思う)ことはそのほかの具体的なさまざまのひとびとを想う(思う)ことへと拡張してゆく。〕