やはり心を籠めるということですね、横着にならずに丁寧に。そこに感情も意志も愛もすべてある。ひとことで言うとやはり愛ということではないでしょうか。愛は自己投入です、自分の意志も感情もすべて籠めるのです。Selbsteinsatz (ゼルプストアインザッツ)「自己投入」、ヤスパースもこう表現していたはずだ。其処からの完璧志向だからこそ心を打つ。Hさんの創作と演奏から学ぶことはこのことですね。完璧のための完璧ではない、心を籠めることが自ずから向かう完璧なのだ。やはり愛をおしえてくれるものなのです。単純で純粋な心掛けが根底にある。


これで今日は早く眠れそうです。おやすみなさい。


ぼくは、愛しか求めていないと言うなら、自分で愛をつくろう。それは創造することである、形を生むことである。愛から形を生むというのは、反省による表現であって、実際は形のなかに愛が生れるのだ。魂が生んだ形が愛である。イデアは形のなかに実現され実証される。プラトンとアリストテレスはともに真なのである。なにより彼女の創作と演奏がそれを示してくれている。形によって愛を知る。ぼくもそういう形を生みたい、愛を得るために。それは信仰が感覚となることである。感覚において神に触れることである、愛の神に。ギリシャのパルテノンのようなものをぼくが生めるだろうか、辻邦生の小説創造の恍惚をぼくが生めるだろう。そう 生めると言う。生む主体となってぼくが愛を知る。


人と人は太陽の回りを巡っている惑星のようなものだ。太陽はイデアの神である。惑星はそれを巡って各々の個性という運命の軌道を辿る。互いに近づいたり離れたりしながら。けっして永久(とわ)の訣れとなることはない、各々が自らの〈中心〉を忘れないかぎりは。再び時至れば巡り近づく、同じ系に属しているがゆえに出会い離れたのであれば。

紫色の薄明
彼女の演奏を聴いていると彼女の部屋のグランドピアノの向こうの紫色の薄明が見える

人間の条件は自らの内に宗教的なもの、神聖な祭壇を抱えていることである

自分の心が自分の神に一致しようと志向しているのだから共時的な現象にみまわれるのも当然かもしれない

ボードレールが晩年心を傾けた〈散文詩〉poème en prose に相当するものをぼくは書いているらしい


単に真面目というのでなく「真摯に取り組む」こと、美への真摯さ。それが人を感動させ、それに彼女は感動させられる。これは彼女自身の言葉

一音一音が心に届くが、彼女はけっして鍵盤を強く叩いているのではない。心を籠めて触れているから一音に心が籠もるのだ。音霊(おとだま)である。 clairement et distinctement (明晰で判明に) これがセレニテ(sérénité)の条件だ。彼女の世界はセレニテそのもの〔心の平静、明鏡止水の境地、空の晴朗、澄みきった明るさ: 辞書より〕。

知性とは思慮であり、情念を否定することなく統御すること。
奥ゆかしさとは思慮深さである。無意識的にまで知性が手を抜かないこと。

思惟は人間の運命であり、知性になるまで洗練するよう定められている。知性はどこに自らの本性である「秩序」を見出すのか。「感覚そのもののなかに合理がある」、と先生は言う。
そこ、純粋感覚に、前知性的な知性性を人間思惟が見出すことになるだろう。

_____

Hさん、このひとはブログを読んでも、何気ない日常を綴っているようであるが、まったくにごりがない。自然体の品格が保たれている。芯が澄んでいる。

ありがとう