(「はじめに」にこれを添える)
世に言う「集団ストーカー」行為は存在すると、私の全良識と判断力をもって断定しておく。これは一方的な悪意の暴力による個人生活への介入(容喙)である。私が誰の迷惑にもなり得ない純粋個人内の精神的研究と原稿執筆に引き籠っていた最中、強制的に力づくで〈横から〉その営みを破壊された。(その後の経過は信じ難い言語道断な凄惨なものであった。)あらゆる暴力団よりもっと悪い。この一事をもってこの力はいかなる自己弁明・正当化も出来ないのである。どの方面から(当初)来たか、それも私は推測し得る限りで推測し、いつでもそれを明かすことができる。それをやらないのは、なるほど客観的な裏づけが出来ないことと、私が推測している方面が真の原因存在のカムフラージュ(仮面)で万一あった場合、名誉毀損になるからである。
 
〔こういう下等な現象を問題に取り上げざるを得ない、根底よりの腹立たしさと残念さ〕