先述の先生の記録〔465節〕は、解釈分析してなにごとかを論じるようなことは副次的なことに過ぎないような、それ自体がルオーの「魂の心象風景」と(私は敢えて言う)同質のものであり、そのようなものとして唯々深く感じるべきものなのだ。私が「はじめに」に掲げたようなルオーの絵に感じる気持で味読できる読者が幾人いるだろうかというように私は思っている。それができる人は、人間というもののあらゆる問題性を透過して、「人間の魂」を感じるであろう。ルオー、あるいはボードレールの様な詩人が、世の人間模様のありのままの描写を透過して人間の深い魂的真実と神へ沈潜しようとしたのと同じである。私が関連意識無く掲げたルオーの小品が、私の思いをこのように表現することに気づかせてくれた。

 

 

 

 

 

465 戦争と人間 (高田博厚の記録)   09月01日 18:56