時宜を得たから大変重要で貴重な事実をここで述べる。仕事の必要上東京に借り住まいしていた時だ。わたしの同居者が、「隣りの室から壁を通していつも見られている気がして落ち着かない」と言う。わたしは感じなかった。気のせいで言うのだろうと思っていた。あまり言うので別の部屋で過ごしたりしていた。そのうち同居者がわたしから見てあきらかにおかしな言動をし始めた。わたしに来るはずの無い人物からのメールの有無をしきりにわたしに尋ねたり、四六時中頭に誰かの声が聞えると言い、その内容をわざわざ紙に書いてわたしに見せたりする。部屋の中では口に出すと「他者」に聞えるからだと言う。その「伝達内容」はショックなもので、ここでそのまま述べてもよいが、ここでは他の興味深い伝達内容のことに触れる。わたしの既に出した本の内容評であり、本を通読してもいないわたしの同居者の考え・想像では書けない内容のものであった。しかも同居者はその自分が書いた記録を、わたしに読ませた後は台所で火をつけて住居の中で燃やし処理した。そういう行動を嘗て一度も見たことのないわたしはあきらかに「異常なもの」を感じた。どうなるのだろうと思っているうち、それまで特別に何か感じることのなかったわたしも、不愉快な暑苦しい感覚を自分の住居内で感じ始め、しまいにはそこで暮らし寝ることが出来なくなり、同居者も同様に感じていた(わたしよりいろんな症状を呈していた)ので、近くのホテルに寝に行きつつ早急に別の住居を探し引っ越した。この間、同じ建物内の特に隣室の住人の情報などを建物の管理人氏に問うたりした。わたし同様不審な印象や経験をしていたことを話してくれた。いくら戸を叩いても応じないので会えなかった。居るのに表札に名前も書いていない。偶然外に届けられていた郵送物から名前を知ることができた(ここで公表はしない)。外部の仕事関係らしい人間と戸口で立ち話をしているのを偶然聞いたこともある(すぐに部屋に入ったので全体は聞けなかった)。ここですべての経験をぼくは述べない。しかもそれ以上に凄惨な出来事はそこを引っ越した先で生じた。いまでも吐き気がする。語りたくないというのが正直な感情だ。ともかくわたしは引っ越すと伴侶を〈治療〉させなければならなかった。〈幻聴治療〉だ。行く先は精神科しかあるまい。わたしはこうなった経緯を話すために勿論同伴した。いまから思うとわたしの判断ではこれが〈罠〉だった。わたしが〈医者〉に経緯を話すと、すべて了解した顔をして、伴侶だけでなくわたしも同じ薬を飲めと言う。そうしないとわたしもやがてそうなると言う。薬によってその得体の知れない〈相手〉からの〈縁を断つ〉のだと断固とした調子で強調した。わたし自身は飲む必要の無かったはずの精神科の〈統合失調症〉薬を殆ど脅しのような雰囲気で、生まれてはじめて飲まされることになった(当初、その〈医者〉自身を信頼していた。大病院の退官責任医と称し、貫禄も完璧だった)。これがわたしの神経組織を破壊した。正常な人間にとっては(少なくともわたしにとっては)脳組織破壊、それを通じて身体中の関連筋機能破壊の薬でしかなかったのだ。
ここで重要な事は、〈統合失調症〉と現在称されている症状は、単純に自発的脳疾患であるとされ、脳に作用する薬をもって治療するのが一般のようであり、その際、外的刺激・誘発要因は問わず、そういう訴えそのものが脳症状の現象と見做されているのなら、わたしたちの例はあきらかにそういう断定の反証となる、ということである。同一空間内に居住している複数の人間が同時期に共通にその空間の異常を感知し、症状と共にその異常印象を訴えた場合、その共通外因性を否定し各々の〈症状発生〉を全く各々別個の自発的内因のみに帰し、時期的同一は全く偶然によるものと断定するには、余程頑ななドグマティズムが必要であろうからである。しかも〈医者〉は、そういう本心内の〈診断〉を〈患者〉に隠し、〈筋の通った経緯説明に同意した〉振りを見せ安心させた上で服薬を命じたのであれば、こういう態度を何と言うべきか。その上に他の動機でももしあれば、犯罪が成立しよう。 ここで一般に重要な点は、統合失調症と呼ばれている精神現象、これは既に旧称精神分裂病の概念を作ったヤスパースが、症因を脳疾患に認め得る割合の僅少なることを報告しているものであるが、この精神現象の診断原則を原理的に反省し、症因追究の新領域を開拓せねば、医学はその社会的責務に背反することを認識せねばならないということである。破壊された神経組織を使ってわたしがここまで明晰な判断を為しているのは魂の奇蹟にちかい。

〔この〈医師〉の氏名・元所属病院名等勿論保持しているが、最後にわたしが自分の状態に関し詰問した際、何も答えることをせず、背を向け〈逃走〉してしまった。その日が、〈遠くから出向いている〉というこの〈医師〉の最後の「医院」(その名・住所も保持)への出勤日であった。この日、言い訳の様に「私ももうおだぶつだ」と言っていた。〕

〔伴侶が頭の声で伝え聞いたとする内容は、具体的でよくできた話であり、それ自体はわたしの興味を大きく惹いた。何故こういう現象をわたしたちにたいして起したかを、原因当事者自ら説明するものであった。いまここで憶えている内容を紹介したい気持ちはあるが、そうするとどうしても現存する社会組織名を出さねばならず、その名を伏せても話の内容からその組織が推測されるものであるので、事柄の性質上、紹介は控えるという判断をせねばならないのは、或る意味残念である。一つだけ脈絡なしで鍵語を紹介すると、〈品定め〉のためにやっているとのこと。これ以上は言えない。わたしたち二人の思考に侵入を試みたが、伴侶には難なくできたのに、わたしの思考に入り込むには、思考が複雑で大変難儀をした、とも話したとのことである。この引越し前の時点では現象に驚きながらも比較的雰囲気はまだ明るかった。〕
〔「ショックな伝達内容」については7月15日「自衛隊自殺者と集合容喙被害者の類似状況」に書いた。後日付記〕