気持が自分に安らぐのが夜中なので本当は夜を徹して書きたいのだが(既に言った)、精神の都合と身体の都合が合わないのは、この二つは依存し合っているようで原理が別なのだろうか。心身問題として哲学者を煩わせてきた。その分析に関わろうとは思わない。ただ、精神の神と身体の神がいるようだと思う。大抵の人間は身体の神に服従している。この神はこの神自身の判断基準を持っているらしく、妙な現象でぼくにサインを送ることがあるとぼくは推断している。その意味ありげな現象が余り理不尽に思われるようになったので、いま、ぼくのほうがこの神を断罪しているのだ。おまえは真の神じゃない、神を判断する基準を人間は自分の精神の内に持っており、故に真の神は人間の内なる理念の神なのだ。そうぼくは判断して、外からぼくに迫るような〈それらしき神〉に屈服しない。そもそも、イエスを試したという悪魔は、もしぼくが悪魔だとしたら「自分はお前の神だ」と言ってイエスに現れただろう。それを悪魔と言ったのはイエスの判断力だろう。イエスは自分の内に神のイデー・理念を持っていてこれに従い、現象の本質を悪なりと断じたのだ。イエスはイデアリスト(自分の内なる理念を信じる人)だったと思う。その原理的な精神の秩序においてぼくと親和的・同じであると思っている。精神の神は外界の脅迫現象としては現れない。戦いの神すらわれわれは拝むことになってしまう。ぼくは随分いやらしい不自然現象を自然現象においてすら経験した。かんかん照りの日もぼくの家の玄関の前の石畳には雨の後の様な水の湿りが乾燥せずに毎日同じ様に留まっているのだ。原因不明。現在無くなった。それでは嘗ての現象はどうして生じたか益々不可解。これは一例。明らかにおかしいと判断される例だけでも一々思い出したら相当である。傑作なのは、風呂が入ると自動音声で「お風呂が沸きました」と告げる(誰がそんな装置をつけたのか)のだが、さすがに一度であったが自動音声の代わりに屋外で不明の一群が(夜に)同じ台詞をコーラスした。笑い事ではない。自然、動物、人間、どれも普通な現象ではない。疑わしいぐらいのことなら無限に挙げられる。現象の初期、一時滞在中の借りマンションの部屋で神経に作用するような電磁波作用のようなものを経験し、居られなくなった。この種の作用経験はぼくの主観的推測も交えれば無限に詳しく報告することができる。しかも「被害」はぼくとそこに同居していた者にまで及んでいる。こちらの方がぼくより影響ダメージは深刻だった。これは明らかに自然発生的なものではない。ぼくは同居者の〈治療〉に付き合うことになった。これが大変な事になったのだ。今ここまでにする。はじめて少し具体的な事に踏み込んだね。現実に起った事はそれまで生きてきて経験しなかった信じられない現象だった。人間がぼくの前で〈ロボット〉になる瞬間をぼくは見た。作り話ではない現実にきみは耐えられるか。しかもぼくは平行して自分の精神の本来のいとなみである健全な昔の回想・普遍的思想叙述もしてゆくつもりだ。これも以前に言ったと思うが、この欄に書くすべては、生きる基盤として感じられなくなった身体によってかろうじて生きているいまのぼくの遺言なのだ。遺言に「真実」を書かなくて何処に書くのだ。ぼくが配慮するのは専ら〈周囲〉に直接〈迷惑〉がかからないような書き方をすることだけだ。

台風八号の夜。雨がばらばら降っている。