《豪贅な晩餐(スーぺ)をたべるのに、もちろん私は立派な館(やかた)を建てた。それは私の愛する南仏海岸(コート・ダジュール)であった。崖の上の平地(テラス)の松林の間から碧緑の海が見はるかされる。赤褐色の岩崖の小道を降りれば七色の礫利(じゃり)の敷きつめられた浜に出る。一木一石を吟味して豊かで簡素な家を私は設計した。調度も一つ一つがいわれのあるものであり、隅々までも私の趣味が行きとどいた「愛さずにはおれない」館であった。
 この宝石のような館に私ひとりで棲んでいるのか、それとも美しい女と共にいるのか、私にはつきとめられなかった。もちろん忠実な下僕や女中はいるのであったが、それから先はぼやけていた。パリに残してきた伴侶はいかなる時も影のように私につきまとっているのであるが、それは分離してこの美わしき邸内で私の前に現れて来ない。〔・・・〕天空に打ち建てた私の楼閣の中では、私は想像を超える未知の天女を待っているのであろうか?〔・・・〕
 自分で手がけた山海の珍味の湯気だつ香気がしびれるように私を包み、さていよいよ純白のナフキンを膝にかけ、太陽のしずくのようなブルゴーニュの赤酒を杯に満たし、純銀のしっとりと重いナイフ、フォークを手にとって、食べだすか食べないのかわからない中に、私は安眠しているのであった。夢の中までこの親密な晩餐は延長するらしいが、せっかく吟味して整えあげた料理を、喉に通した自覚は一度もなかった。実際の胃腑はがら空きなものだから、飽食満腹は夢の中でも遂に私を幸福にしてくれなかった。〔・・・〕》
 ロマネスク(物語世界)は本来、具体的ディテールの描写がもつイマージュ喚起力にすべてをかける。観念は、事象感覚を媒介とせねば伝えられないのだ。続く〈本質〉呈示へこうして移行する。
《夜毎にくりかえすこの想像が私をたのしませると共に、それが実に鮮明で、ある力を持っているのにおどろくのであった。慰めが向うの方で私を待っていてくれるようである。そこには風景がもう出来上っており、私の魂の状態を示してくれる。紙も筆も持たないで設計した館の部屋部屋に入れば、秩序と趣味を以て整然とした調度が私を迎える。夢で創りあげた世界へ私の方が入ってゆく、私が居ても居なくても常に存在しているように。こうして私はバラックの電灯が消えるのを待つようになった。》
 
 思い出すが、嘗て辻邦生氏はぼくに語った。「小説家がどうして自分も経験しない人間体験をみごとに描写できるかの秘密(トーマス・マンの「ブッデンブローク」の中での臨終体験の描写の迫真性への感嘆をぼくが口にしたことがきっかけだった)は、全部ぼくらの内にあるんだよ、不思議なことだけどね、ぼくらはそれを知ってるんだよ」と。