これは純粋な個人日記ではなく公開手記だから、他者への一応の配慮も(自分や注意深い読者には問題ないとしても)しておく。ぼくの怒りは他者に何らかの危害を加えたり革命を起こしたりする意図とはまったく結びつかない。自分ひとりの内での真理認識や自己認識にのみ関わるものなのだ。具体的な誰かや何処かをやっつけようなどという卑俗な動機には、ぼくの受けた被害があまりに深刻なために、それによってぼくの身体機能が元に戻るのでもない限り、およそ関心が向くことはかんがえられない。馬鹿と見限ったものどもを今更相手にしてもぼくの救済には何ら結びつかない。デカルトと同様、自分の内に物事の認識の秩序を打ち立てることのみが問題なのだ。そして自分の価値というものをはっきり自立的に自己認識(自覚)したら、自分にふさわしい創造行為に目的の成否を問わず自分を賭ける。そのような自己認識にこそ怒りは相関的なのだ。たしかにぼくはいまの間違った世界を全うな世界へと覆したいと思っているが、それはぼくが自由霊となってあらたな力を得るまで留めておこう。ぼくの状況は他者が想定しうるようななまやさしいものではないのだ。精神的精進一筋だったぼくがこういうことも書かなければならないようになるとは想像もしなかった。それほど「悪」は「向こう」に在る。自己帰罪の詭弁はとうにぼくによって打ち破られている。