高田先生とともにぼくが本質的に惹かれる思索者である。かれの『形而上的日記』を原書で味読することは、状況異変のさなかに至るまで、先生の著の味読とともにぼくの愉悦であった。この充実した瞑想的な親密感を観られるがよい。ぼくの「形而上的アンティミスム」において、本来、先生と並んで両極を構成する形而上的アンティミストである(この電子欄で既に言及した)。この機に、ぼくが昨年書いたマルセル復刊希望のための文を併せて呈示する:

マルセルは日本人が未だ理解し得ていない古典である。リルケに共感する心性の持主なら必ずやマルセルにも惹き入れられるであろう。同質の親密性があるからである。現在、人の魂が求めている泉の如き境位がある。狭い哲学領域を超えて人間である限りの人間に訴え浸透してゆくものがある。カトリック教義の枠を本来意識しない自由人の独立的感性と思索の賜の世界だからである。彼はどこまでも人間の魂の友であり、卑俗な次元に堕ちることから防いでくれる。彼の示すものはエゴイズムではない自己愛であり、孤独における自己との対話と同質の親密さをもつ他者との対話としての他者愛である。そして究極においてこの二つの愛が同一の光の根源から生じていることの証である。驚異的な全人的教養を背景として彼は常にこの包括的根源を不可知論的謙虚さをもってわれわれの前に開こうとしている。豊かきわまりない感性的内実のなかでの彼の思索の深さは、思索的問いそのものをその問いの徹底によって自壊させるに至るほどのものであり、そのことによって、他では得られぬ思索そのものの充溢感を齎す。座右の書としての復刊は一の義務である。2013/12/02



+Gabriel Marcel 1889 1973 : 1ère partie - Vidéo Ina.fr
+Gabriel Marcel 1889 1973 : 2ème partie - Vidéo Ina.fr
 〔付加 ’16.2.26〕