誰も人から殺されるためにも人を殺すためにも生まれてきたのではない。そう思うことができるということは「人間」である証だ。それは「魂」であることの第一の本性だ。しかしこの魂は、「社会」のなかで生きている。その自己保持機能である「国家」が、そのためにこの魂を裏切り「悪」を、殺し殺されるという悪を為さざるを得ない、社会のなかに。この矛盾(魂が生じて以来、それから解き放たれることのない)は、人間にとって、魂にとって、「存在」そのもののなかにある矛盾だ。先生の滞欧生活は、それを身をもって知り、反省し、そこにおける「魂」の態度を見極め自覚する歴史でもあった。