ぼくの形而上的アンティミスムはぼくのたましいにある理念なのだ。それは哲学でも神学でも文学でもない。むしろそれらがこの理念との実質的な関わりにおいて人間にとって内実あるものとなり得るようなものだと言ったら不遜だろうか。この理念はぼくの発明ではなく気づきである。ぼくは一貫してこの電子欄でもこの理念の一幅の絵を、ここをカンバスに見たてて重ね塗りしてきているつもりだ。ぼくの絵がどういうものかは、ここに書いているものを最初からすべて重ね置いてみる場合にはじめて浮かびあがってくる。造形芸術にいちばん親近性が濃いようにぼくは思っている。その理念の本質を裏切らないような、その本質に沿うような表現形態にぼくは心を砕いているつもりだ。それでこういうかたちとなっている。それ自体行為によって証されることを欲するような思想、とぼくは言った。ぼくが書くことはそういう証の行為でありたいとぼくは思っている。重ね塗りしてゆくうちに透明度を増して魂のうちなる神を感じさせるようになるルオーの絵のようでありたいとイメージしている。しかし証すべき本質はその一塗り一塗りの中にも常に既にある。ぼくがどう描いても「秩序」は向こうのほうからやってきて繰り返し「発見」されるのが、ほんとうの堅固な「思想」ではないだろうか。それは〈論〉や〈主義〉の彼方にある。そういうものをぼくは高田先生のうちに見出した。