それが「世間・社会」っていうものだ。きみをそういう疎外的な人々との関係における「具体的」な行動によってしか判断・評価しない。そして、じつは「創造主」の、きみという人間の価値の判断・評価の仕方も、それとまったくおんなじなんだ。どうもそうらしいということが判ってから、ぼくは「彼」と絶交した。そういうわけだから、そういう「彼」と仲良くしたい人は、「自分」なんか捨てて、皆と無前提に群れ集えばいいんじゃないだろうか。人間というものがそれでいいのなら、ぼくの電子欄は価値はない。