〔この節は以前から気になっていたので、後半を改めた。〕 



わたしの電子欄に「ランキング」というのが載っている。「参加しない」こともできるのだということを今知った。「アクセス者数」は公表されていない(こちらのほうが大事だ)が、わたしのほうでは見ることができる。それによると昨日は一昨日迄と比べて倍以上と急激に伸びている。「ランキング」の落ち込みと傾向が逆なのだ。午前10時11時台の接続が多い。昨日は学校・大学の新年度が始まった。それで推測がたつ。こういうことでいろいろ想像できる契機になるから、少し目障りだなあと感じたが、このまま表示をしばらく放っておこうと思う。


 昨日出会った他者の文章のなかで挙げられている『パリの巷で』(講談社)という先生の本は、昭和35年、先生帰国(1957)後に書かれたもので、朝日新聞社刊「高田博厚著作集」全四巻(1985)にも収めきらなかった文献である。しかしその文章で述べられている「190頁」以降の話は、この著以前にわたしも他の本の中で読んで印象に残っている。今その箇所を指摘できない。なにしろ今のわたしは5年の「兵役」を生き延びで「戦場」から命だけはどうにか保って帰還した負傷兵と同じである。『分水嶺』だったか・・ 幸い『パリの巷で』が手許にあるので、現在は古書で入手し難いから、稿を改めて先生の原文をご紹介する。


以下に紹介するのは、その他者の文章である:





≪ 私は高田博厚の著作や彫刻作品が大好きです。彼を知るために彫刻作品をご覧になるには埼玉県東松山市高坂駅(東武東上線)の駅前通りにいらしてください。充実したコレクションとして駅から1キロほど続く目抜き通りの両側に数十体の作品が野外展示されています。

 私が当地を訪れた時には個人的にはその作品群に圧倒されました。・・・



 彼の著作に『パリの巷で』という小冊子があります。彼のパリ生活の様子がつぶさに描き出されていて権威にまとわりつかない自律した人柄を十分に推し量ることができます。≫