《自分自身の道を歩いて迷っている子どもや青年の方が、他人の道を正しく歩いている人々より、私には好ましい。》



ぼくの好きなゲーテの言葉である。これはぼくの本来の人間感覚そのものであるから、「権威づけ」ではなく「確認」のつもりで引いた。「偉人」ではなく「人間」がここで言葉を発している。「ゲーテが言っているから正しい」などと言うつもりは更々ない。人間は、これよりほかにゆきようがあるか?と、人間自身の経験と反省が、判断として、言わせているのだと思う。「他人の道」とは何か、よく考えてみられるとよい。随分思いきったことをゲーテは言っているものだ、と思う。ここで問題なのは、とぼくはつけ加える、社会世間や創造主は、われわれが自分の本質の自覚のゆえに自分に寛容であるほどには、寛容でも辛抱強くもない、ということだ。ここに、ぼくが「創造主」と「神」とを分かつ根拠のひとつがある。ここに注意しないことによって人生がどう失敗するか、ゲーテ自身よく解っていた。「人生は何度でもやり直すことが出来る」なんて、きみ、信じてはいけない。そこできみは、それでも「人間」を選ぶか、「傀儡」を選ぶか。ぼくは最後まで「人間」を選ぶ、そしてそれによってのみ可能な「神」を求める。








参照: 405 ヴァリエテ VIII 「限界状況」・「感謝」・自分を書くということ、等