今回、四国お遍路の旅を通して感じたこと、考えたことたくさんありました。
出来る限り書きたいと思います。
姫たんのこと、主人のこと、私自身のこと、その他諸々。5回ぐらいに分けて書いていこうと思います。
もう少しお遍路する時間があればもっと色々考えられたのかもしれないなと思いました。
このお遍路計画は、姫たんが亡くなってしばらくして主人が行きたいと言い出したことから始まりました。私は、別に旅行でもいいんじゃないかと思っていました。
普段主人が忙しいので、お参りは近場で済ませるよね…ぐらいにしか考えてませんでした。
歩いてお寺を巡るなんてきついだけだ、たくさんの距離を歩くなんて未知の世界だし、お遍路はお年寄りが行くイメージが強かった。
また、息切れや動悸がしていた12月や1月。体力的に難しいかもしれない、自信がないから途中でリタイアしちゃうんじゃないかと不安を抱えたまま、2月が来てしまいました。
お遍路自体にあまり乗り気じゃなく、興味のなかった私は、必要最低限の知識しか頭に入れてませんでした。お恥ずかしい…
どこの地域に何個お寺があって…どの位の距離で…駅がここで…必要な物はこれで…ぐらい。
でも一応計画を立てようと頑張ってみたけど、難しくて結局主人が全部計画をしてくれました。
何でお遍路さんだったのか、しかもなぜ歩きなのか主人に尋ねると
一番は、普段忙しくてキャラメルちゃんのように毎日毎日姫たんのことを考えられないから、この旅で姫たんを想って歩きたいということ。
もう一つは体を動かして、リフレッシュしたいということでした。
それを聞いて私は嬉しかったし、やっと行く気になりました。
一応私の体力が戻ることを第一に、健康のためにも産後2ヶ月目ぐらいから、2人で時間があれば歩いたり、筋力をつけようと励んでいました。
姫たんがお腹にいた時に散歩してた道も、最初は辛く無理だーって、涙を流しながら歩いた日々もあったけど今は1人で歩けるようになりました。
今となっては、姫たんがお腹にいた時の日々が本当に良い思い出です。
そして、3月になりお遍路の旅が始まったのです。
始めは、拝むために必要な手順をこなすのに必死で、バックから色んな物を取り出してはしまい、拝んで、はい次へみたいな感じで、次の目的地はどこ?と考えながら歩いて、雨が降ってくると
色々考えたいのに、こんなんじゃ考えられないじゃん!って思いました。余裕がなかったんでしょうね。
次のお寺まで○kmもある…
雨やまないかな…
このままなら行きたくないな…
って心の中でつぶやいてしまいました。
こんな天気ぐらいで気持ちがぐらつくなら、あまり姫たんや主人のことを色々考えながら歩けないかも…と思いました。
普段より長い道を歩いてるせいか考えることは、決まって生理的な欲求ばかりでした。
例えば、途中で雨が降ってきたり、足が痛くなって辛くなってくると、早く帰りたい。休みたい。寝たい。座りたい。お風呂にゆっくり浸かりたい。ご飯を食べたい。
という『欲』が出てきました。
これは自然な欲なのかなと私は思います。
そして、2日目ともなると数をこなすうちに巡礼時の手順も要領を得て、どんなお寺なのか少しずつ興味が出てきました。
願いを唱えることも心の中で整理が出来ていったように思います。
簡単にお願いしたことを書くと
私は娘の供養(大切な娘を病気で亡くしました。でも私達のために16日間生きてくれました。娘との貴重な時間をありがとうございました。どうか娘がこれからも天国で安心して暮らせますようお守りください)
と私達夫婦と家族の健康、そして、娘のキョウダイをまたいつか授かり、健康で無事生まれてきますようにとお願いしていきました。
お遍路の旅の途中、色んな人々と出会いました。大半はバスツアーや車で回る方々でした。
えっ、それでいいの?正直ずるいって思いました。
私達は足場の悪い道や雨に打たれながら、重い荷物を抱え、やっとの思いで着いたと思ったら
私達の行く先々でツアー客は、身軽で既にお参りし終わって、次に向かってバスとすれ違うことがあったからです。
でも、お遍路の姿をしてお参りされる方々はほとんどが年配者なので歩き遍路は無謀に近いものがあります。
でも、そんな年配者の方でもお一人で歩かれてる方は男女問わず何人かいらっしゃいました。
若い方もいらっしゃいました。
私はお一人で歩かれる方は本当にすごい方だと思います。何するにも一人孤独にあの道を歩くと思うと辛くて涙が出そうです。
きっと全部回ったらとっても強い人間になれるのではないかと思いました。
逆にお一人で歩かれてる方は、私達夫婦のように二人で歩いてところを見てどう思われるのかな。
私は徳島、愛媛、香川と回りましたが歩き遍路をしている人に出会ったのは実は、徳島の最初のお寺の①と香川の⑦③だけでした。
意外でした。
私が歩きだすのは、だいたいお昼からだったので、そのせいもあるのかなとも思いますが本当に意外でした。
歩きお遍路には、季節柄もあるようです。やはり過ごしやすい春と秋が多いそうです。
一人一人が皆、色んな想いを抱えて、悩んで、悲しん苦しんでお参りに来てると思うと、どんな形で巡礼しようと関係ないと思いました。
皆それぞれ目的を持って参っているんだと、そう思いました。