最寄り駅である東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅で下車する。地上に出ると江戸川橋交差点から「音羽通り」を歩く、上が首都高速、下に神田川が流れ、架かる橋が駅名にもなっている「江戸川橋」である。この辺は、新宿区と境を接している。途中、「今宮神社」があった。1697年に創建された神社で、五代将軍徳川綱吉の母桂昌院の発願により、京都の今宮神社より分霊をを勧請して創建された。元々は、護国寺の寺内に位置していたが、明治の神仏分離により現在地に移転した。
別名、「音羽今宮神社」と言い、境内には音羽町会の倉庫が並んでおり。中心的な神社なのでしょう。今宮神社の先に「鳩山会館」がありました。


(1)鳩山会館
勝山藩(現在の岡山県)出身の鳩山和夫がこの地に居を構えたのが明治24年である。衆院議員の鳩山和夫は、弁護士の地位向上、私学の発展、立憲政治の発達と進歩を理想とした。洋館は、大正13年に鳩山一郎によって建てられた。鳩山一郎氏は、第52~54代内閣総理大臣、初代自由民主党総裁、妻は共立女子学園理事長、長男の威一郎氏は外相を務めた、名士一家が過ごされた邸宅で内部や見事な庭園を公開している。設計は、岡田信一郎で当時は珍しい鉄筋コンクリート造りの洋館で、各所にハトやミミズクなど鳥をモチーフにした装飾が施されている。岡田信一郎氏は、洋式建築を得意とし、鳩山邸でも発揮している。アダム・スタイル*1の応接間など、イギリスの邸宅を思わせる。1階部分は、部屋の境の扉を大きく開くことで各室を連続して使用することができ、日本家屋の開放的な空間を作り出している。ステンドグラスが随所に多用され、階段の踊り場部分には五重塔の上を鳩が舞う図柄の大きな作品があるが、これは工芸家小川三知氏の作品。庭園は、イギリス風の中庭で建物のサンルームから出入りができ、季節ごとの色取り取りの花が楽しめる。
鳩山邸は、文京区音羽にあることから「音羽御殿」とも呼ばれ、戦後政治史の舞台の一つに数えられている。

*1-
アダム様式は、18世紀後半のイギリスでロバート・アダム兄弟が確立した様式でイギリスの伝統様式と古代ローマやエジプトの様式を組み合わせた、軽快で優美な新古典主義の建築・室内装飾スタイル。主に上流階級の邸宅や室内装飾、家具デザインに用いられた。




鳩山会館から「肥後細川庭園」を目指す。首都高速の下を通り目白台を目指すが、坂道がきつい、文京区の坂道は東京23区の中でも坂道の多い区*2の一ついわれている。

*2-
文京区は、武蔵野台地の東端に位置し、台地と谷が入り組んでおり地形が坂道を生み出しているとともに、江戸時代の都市開発が進められる中、高台と低地をつなぐ無数の坂道が生まれた。坂道は、異なる身分の人々が住むエリアをつなぐ交通網の役割を担っていました。高台には大名・武士・寺社が低地には町人・商人が住んでいました。

やっとのことで台地上の場所に、坂道の下と違って閑静場所です。その一画に「永青文庫」がありました。永青文庫は、日本・東洋の古美術を中心とした美術館で、その他、旧熊本藩細川家伝来の美術品、歴史資料なども収蔵、展示されている。残念ながら休館日で見学することが出来ませんでした。近隣には椿山荘・関口芭蕉庵・和敬塾・蕉雨園・講談社野間記念館などがあり趣のある散歩コースである。

坂道を上がってきたが、こんどは下らなければならない。階段とスロープとなっているが、自転車に乗ったまま下りないようにという注意書きがあるが、この坂を自転車で下る人がいるのだろうかと思う急勾配である。傾斜は16度・29%で東京23区屈指の急坂である。胸を突くようにして登らなくてはならないことから「胸突坂」(むなつきざか)の名前がついている。坂の途中「水神神社」があった。こんなところにと思う場所ではあるが、関口水門の守り神との事です。坂下を流れるのが神田川でコンクリートで護岸工事され川底が深くしている東京の川は深くしたり埋めたり暗渠にしたりが多い。ここから数メートルで「肥後細川庭園」に着く。



(2)肥後細川庭園
肥後細川庭園になるまで幾度かの所有者の変遷があった、細川家の下屋敷*3になったのは幕末のことである。明治時代には細川家の本邸となった。1960年に東京都が当地を購入し、翌年には公園として開園。その後、文京区に移管され公園名も2017年には名称を「新江戸川公園」から公募で「肥後細川庭園」に改称され現在にいたっています。目白台からの豊富な湧水から「回遊式泉水庭園」を主体とした公園となっており、江戸時代の大名屋敷の回遊式泉水庭園の雰囲気を楽しむことが出来ます。庭園の一画に「松聲閣」(しょうせいかく)という木造2階建の建物がありました。明治時代に細川家下屋敷跡に学問所として建設、大正時代に改修された。現在は、集会室、喫茶として利用されている。庭園の四季を利用しいろいろな企画されている。

 

*3-江戸時代に大名や豪商が、江戸の郊外などに建てた控えの屋敷や別邸。災害時の避難場所、物資の保管場所等に使われた。熊本藩の上屋敷は今の丸の内の瀧ノ口にあった、上屋敷は江戸城に最も近い場所にあり、藩主やその妻子が暮らす建物でした。



 

 

起伏が多い中の散歩で大変な面もあったが歴史を感じる訪問であった。

【参考資料】
・ウイキペデア
・今宮神社
・文京区
・鳩山会館
・街歩きコラム
・肥後細川庭園  

《その他のPhoto》
〇鳩山会館



〇肥後細川庭園