この期に及んで若干の冷気を感じたので、やはり春は侮れないなと思うのだった。月は少し欠けているもののまだまだ丸く、若干の冷気に月とは、まるでまだ冬の終わりか春になったばかりの頃ではないかと、行きつ戻りつの有様が、まあ人もそういう時期にはそんな感じか、と妙な納得をするのだった。  

 

 目が覚めないので、2杯目のコーヒーを飲む。悪い事ばかりではないと、まるで誰かの歌詞の様な言葉を思いながら、いや、良い日にするのは自らだ、否、神が全てを決める、などとまとまらない考えを行う。  

 

 これまで必要以上に管理出来ていたのが異常で、本来それほど徹底的には管理出来ないものなのであり、それ故、その時の地位や状況に左右されず、己の立ち居振る舞いを正しく保つ事が重要なのだと、この最近よく思う様になった。極端に管理出来ていた時代は、鍍金も剝げなかったが、今では普通に剝げてしまう。当たり前だ。見せ掛けは所詮見せ掛けに過ぎないからだ。そして、結局は己が剝き出しになるので、如何に己を作り上げていくかが重要となる時代になったと言える。  

 

 以前の常識では不可能だった事も、これからは不可能ではなくなる様に思う。必要以上に厳格に管理されていたものが、本来のあるべき姿になれば、当然、人々によって不可能とされていたことが、実際は可能であるとなる場合があるのは当然であろう。