新たな年が明けて9日目となった。敢えて書く事など無いのだが、ブログとは何かを探ると言う目的で、ここでブログを書く様になってから気付いた、‘何も書く事など無くとも、書いていく内に書きたい事が出て来る。’と言う事を思い起こし、取り敢えず書く事にした。

 

 ただ、長い間続けていると、どの人、どの団体が、どう言ったものなのかが或る程度見えて来て、”ああ、成程。要は、社会と言う大きな池にブログと言う小石を投げる度に、水面に波紋が出来て居るんだな。“と思う様になった。水の粘性、組成と言ったものも関係するだろうが、或いはどう言った小石を、どういう具合に投げるかによって、己の望みの波紋を作る事も可能だと言う事だ。ただ、私は今の所その様な工夫をして居ない。  

 

 私の目が良く見える様になって来たのか、それとも世の中がその様になって来たのかは解らないが、見たくないもの、見えてはならないものが目に入るようになった来た気がする。今年も情け容赦なく、始まった時からよく目に付く。しかし、そう言った泥沼にこそ蓮は咲くのだった。自暴自棄になって己も泥になるのではなく、そこに蓮として花を咲かせる志を持とう。そして、言葉は行う事に依って実を持つ様になる。勇ましかろうが、清らかであろうが、言葉だけでは空虚であり、虚妄であるとすら言える。邪悪を退け、正義を顕彰しよう。