NECのPC98だったかPC88用に出ていた、当時、光栄と言う名前だった会社が出していた、”水滸伝・天命の誓い“と言うゲームの音楽の内、ゲーム内で季節が冬の時に掛かる曲を今朝になって思い出し、あのゲームではその曲が最も印象に残っているなと、改めて思ったのだった。そして、そのゲームを始めると、それまでの光栄のゲームと違って、春からではなく冬から始まると言う事も思い出した。また、そのゲームは、プレイヤーが操作するキャラクターが生きて居ても、或る年になると金が攻めて来て宋を滅ぼしてゲームが終わってしまうと言う形式であった様に思う。  

 

 私が水滸伝を読んだのは、上のゲームをプレイしてから何年も経ってからで、しかも日本語訳のみなのだが、まず金聖嘆が著した70回本であり、次が駒田信二訳の120回本だった。つまり、最初に成立したらしい100回本は未読である。  

 

 しかし、何故その水滸伝のゲーム音楽を今朝になって思い出したのだろうか。無意識に望むものが本質だと言うなら、何かその曲に似たものを私が望んで居るのかもしれないし、その曲に象徴される何かを感じ取っているのかもしれない。  

 

 ところで、前も書いたかもしれないが、平凡社の中国古典学大系のハードカヴァーと、同じ内容をソフトカヴァーで出したものを比べたら、前者の方が経年変化に強い様だ。ページの紙質には違いが無いようなのだが、後者はページが外れる場合がある様に思う。平凡社の本に限らず、何度も読む事を考えると、やはりハードカヴァーの方が良いのだろう。ただ、時代的に、紙の本ではなく電子書籍を選んで、それが長く保存出来る様に環境を整える方法を考えた方が良いのかもしれないが。