目が覚めたら朝の6時過ぎで、道理で明るい筈だと思いながらも、或る程度の雨音の激しさを耳にして、‘まだ梅雨だったか’と、己の不用意で前のめりな性格を愧じるのだった。
報道の自由なり、人権尊重の様子なりに関して外国の団体による評価で知るようになり、それらを自らが生まれてからの経験や認識と照らし合わせて、成程、どうも窮屈さを感じるなと思ったら、やはり現実として、年月と共に自由が奪われて行き、発言や表現に制限が掛けられて来たと言う事の様だ。と同時に、腐敗が進行して居る様にも見えるので、個人の人権や自由、特に言論や表現の自由と社会の腐敗には負の相関関係があるのだなと思う様になった。
他方で、こう言った何の事はない、取り留めのない文章を書いては公開する様になっている時は、私自身が色々と行き詰っている時であると言うのも、既に自覚している。