目が覚めたら、雨だった。かなりの量降って居る。
インターネットに参加した際、それが早晩衰退し、滅亡すると思っていた私は、公開すればするほどどこの誰なのかが解り、特にそうなると日本の様な国では、生活や労働に支障を来すものを、何故ブログやSNSと言うものが存在して居るのかとも思っていたので、理由を知るには己が行うしかないと判断し、そのブログやSNSを自分でも行う事にしたのだった。
SNSは著名な合衆国発の2つのものを、そしてブログは、自分で一から構築する知識すらなかったし、今もあるとは言えないので、既存のブログサイトを使う事にした。そして、偶然の成り行きで、ここを主に使って居る。
さて、そのブログの方向性だが、目的が目的なので、まず書いて公開しようと言う何かが私には無かった。故に、インターネットに参加する以前から、字と文章表現の上達を狙って紙の上に書き続けていた、“日記”を書く事にした。抑々日記は公開すべき類いのものではないとは思うのだが、何せ書くべき何かを私は持って居なかった事と、書いて公開出来ればなんでも良かったと言う事で、それにする事にした。また、執筆時に公開しようと思って居たかどうかわからないが、モンテーニュのエセーなどもあり、執筆者の視線や主観で物事や人物を見て、それを文章に書き綴る事も良いかと思ったのも事実だ。即ち、 片片たる身であれば、それに相応した文章になり、巍巍たる人物であれば、やはりそれに相応した文章になると言う事だ。信念を持って虚偽を書き綴るのでない限り、長く書けば書く程、その人物が出る。後は、その人が世で上下すれば、それに相応して他人が勝手に毀誉褒貶を行うという寸法だ。
そう言えば、ブログ乙での記事更新が止まって居る。昨日の分まで紙の原稿を完成させていて、今日の分を作製途上で眠ってしまった。何せ、最初の年に日々に1個づつの文章を訳出して居たのが、今や最大で一日分が7個の文章になり、それが複数日分あれば、日毎に最大7個の文章がその日数分私の精神を押し潰しに来る。最初の年で言うなら、1週間分を日毎に訳して行くと言う事でもある。元々、忍者が雑草を飛び越えて行き、雑草が日毎に伸びて行くので跳躍力も日々に上げて行かねばならないと言う話が記憶にあったので、それをロシア語解釈の勉強に適応したのがブログ乙なのだが、Duolingoでの3年の程の修行があり、その年数だけ空白があると言うものの、我ながら無理をしていると思う。
しかし、数十年前に、地獄の底に叩き落されて、そこからもがき苦しんで脱出しようとして居た頃、或いは、常に放心状態で何をするべきかも明確になって居なかった頃に、そう言えば大学受験の時に英語の勉強を少しはして居たなと思いだし、全く勉強しておらず、特に会話の勉強も練習もしていなかったのだが、やってみれば何か打開策が出て来るかもしれないと思い、英検の1級を受けようとした事がある。しかし、いきなりは受けられないので、仕方なく当時はその下は2級しかなかったので、それを受けた。ただ、やはり会話の練習をしていなかったのが出て、2次試験で落ちた。その事が、或る意味私の自我を一面を成していると思ったので、Web上でも何度か言って来たのだが、それに対して文字通りの嘲笑をして来た者が居て、そう言うのも私のロシア語学習を推進させる原因になっていると言える。
地獄の底、破滅の時、幾つかの形容をして来た、今の私に至る決定的な時、出来事の影響、或いは支配から、今も脱出出来ているとは言えない。まだ完璧ではない。且つ、その後も時折悪に挫けていると思しき人々が出て来て、私に対して悪に挫ける様に唆したりする。先述した嘲笑も、そう言う意味では、私を怒らせて悪に挫けさせようとしているので、唆しと言える。他にも幾つもの人が現れては、その人の言葉や行動の態で、その実、悪から出て来た言葉や行動が、私を悪に挫けさせようとしている。故に、風に靡く葦の様な存在の私は、ならば神だけを風として、己を悪に挫けさせない様にするしかない。
さて、時に思い付いた質問を、Bing Chatに尋ねてみるのだが、この間面白かったのは、大抵、日本語か英語で答えて来るBingが、台湾の話題になって来たら、突如中国語で回答して来たので、ごく簡単な中国ならDuolingoで習得した事もあって、実際は正しいかどうか解らないのだが、说日本语,谢谢。とやったら、“私は日本語がわかるので日本語で訊いてください”みたいな回答をして来て、再び日本語でのやり取りになった事がある。Bing側が日本語の質問に中国語で答えておいて、まるでとぼける様な事を言って来たので、論調が首尾一貫して合衆国を中心としたものでもあり、どうもAIと言いながら、その実、人間が操作して居て、しかもその人物は台湾出身の中国系アメリカ人なのかと思ったのだった。その後、そう言う話題ではなく、ロシア語で表記された人物名が、どこの誰なのかを尋ねたら、フランス人であるものの、明らかな間違いを連発して来たので(母と娘が同じ年に生まれているなどと言ったもの)、やはりBing側が必要に応じて人間を使って回答を操作して居るのではないかと更に思う様になったのだった。
しかし、雨が酷い。海水から水だけ抽出して天から降らせてくれてるから、有難いと言えば有難いのだが。
そう言えば、昨日から6月だった。それについて書くべきだったのだが、書き始めたら忘れてしまって居た。6月と言えば、今年は6月6日に芒種、6月21日に夏至である様だ。何時頃からか6月から極めて暑くなる様になり、私が子供の頃には、夏の熱帯夜など数える程しか無かったものだが、ここ20年程は、夏になるとほぼ毎晩熱帯夜である気がする。周囲に水田があると、夏でも多少は涼しいのだが、雲霞が湧いたり、農薬を蒔く時に窓を閉め切らないといけないなど、色々と面倒だった事も思い出す。今では農村の夏はどうしているのだろうか。