Л.Н.Толстой, «Круг Чтения»を訳して居て、そこに論語の一節が出て来たのを契機に、大学を参考にする事になり、そこでそこに感ずる部分があったので、下に写し書く。 

 

 

堯舜率天下以仁、而民從之。桀紂率天下以暴、而民從之。

其所令反其所好、而民不從。是故君子有諸己而後求諸人。  

 

 

 誤読なのかもしれないが、この文章を以て、人に主従の関係がある場合、主である人がどうであるかで、従っている人又は人々を如何様にも出来ると理解した。つまり、主導権を握る人が人徳者ならその人に従う人又は人々は人徳を第一にして行動し、主導権を握る人が暴虐ならその人に従う人又は人々は暴虐を第一にして行動すると言う理解をしたと言う事になる。故に、従う人又は人々をどうして行きたいかに依って、主導権を握る人はどうあるべきかが確定し、また、主導権を握る人がどうであるかに依って、その人に従う人又は人々がどうなって行くかが決定するという主張があると見たのだ。  

 

 漢文は私にはとても難しく、ロシア語ばかりやって居る事もあってほぼ手付かずのままだが、日本語で何かを言ったり書いたりしようとすると、必ずそこから言葉を借りたり、そこに在る言葉から新たな言葉を創出したりしなければならない、重要な言語だと思って居る。