今日2月25日、名古屋ウィメンズマラソンのエントリー発表が正式にありました。
注目は、大阪国際女子マラソン優勝の福士選手がエントリーするか否かでした。
結果は、事前の予想どおり ”一般参加” でのエントリーとなりました。
まあ、それは事前に予想されていた事でもあり、先の記事【応援したくなった!!】にそのあたりの事は綴っています。
今回、注目すべき事は日本陸連が、福士サイドに「名古屋に出ることを避けてもらいたい」と異例の要望を出していたという事実です。
ただ現段階では「当確」は出せないという従来のスタンスは変えていません。
逆の見方をすれば、裏でリオ五輪への ”約束手形” を渡しとも捉えることもできる。
しかし、手形はあくまでも手形、期日に不渡り空手形に、なんてことも…
ここから、
日刊スポーツからの記事引用です。
神戸市内で日本選手権20キロ競歩を視察した麻場委員長は、けがのリスクを承知の上で名古屋にエントリーした 福士の強行出場について初めて口を開き、異例の要望を出した。
「福士選手は強化委員会が求めた条件すべてを満たした素晴らしい、申し分のない走りでした。名古屋に出ることは避けてもらいたい。そのために我々ができることがあればやっていきたい。メダルを狙える水準に達している。五輪でメダルを狙う盤石のプロセスをしてもらいたい」
と、
強化トップが、一選手のレース予定に触れることは異例。しかも名古屋回避の勧めだった。「予定は白紙ですが」としながらも「何もしないでいるわけにはいかない」と、福士の説得に乗り出す構えまで見せた。
選考要項の不備も認めた。福士は設定記録2時間22分30秒をクリアして優勝し現実的には五輪当確。だが設定記録が突破者が複数出た場合、その中で優劣を決める規定がなかった。そのため、日本陸連は五輪当確を出すことができなかった。
福士側のワコールの永山監督は、名古屋で代表2人の誕生のケースについて「名古屋の日本人2位というのは日本人1位に負けた選手。優勝した福士が選ばれず名古屋の2位が選ばれるなんてことがあってはいけない」と問題提起してきた。麻場委員長は「その話の筋は理解できる」とした上で「日本のレベルを鑑みて、2時間22分30秒が設定された。複数選手が超える設定で作っていなかった」と ”ルール” に隙間が存在することを認めた。
ただ、福士側がこだわる「当確」については「その辺は難しい。選ぶとはいえない。今から名古屋を走る選手もいる。3つの大会位が終わらないとそういうこと(当確)はできない」と従来のスタンスのまま。「最後の最後までできることをしたい」としたが、強化トップが出場してもルール上は ”空手形” になりかねない。
以上、
日刊スポーツより引用。
福士選手は、名古屋にエントリーしなければ当日のレースには出場できないのでエントリーしたのであり、出場しなければいけない!というわけではありません。
出場となると大阪国際女子から中41日、更には半年間で3回のフルマラソンを走ることになりますが、福士選手は走るのか?それとも走らないのか?
《女子マラソン・リオ五輪代表選考問題の流れ》
1月31日 大阪国際女子で福士が独奏優勝。2時間22分17秒は、2時間22分30秒の日本陸連設定記録を突破。
2月1日 福士陣営が名古屋ウィメンズ出場を検討。ワコール永山監督は「日本陸連から『(五輪)当確』という言葉がない」。
2月6日 丸亀ハーフの前日イベントで、日本陸連の酒井強化副委員長が「出るなとは言えない。選考要項ではわずかに落選もあり得る」と発言。
2月8日 永山監督が「(代表入りへ)生きるか死ぬかでやっている。我々は攻めるしかない」と合宿準備に入ったことを明かす。
2月21日 日本陸連麻場強化委員長が福士陣営へ異例の要望。
2月25日 名古屋ウィメンズマラソン、エントリー発表。福士は一般参加。永山監督「やめるのは落選ないと判断した時だけ!」
3月13日 名古ウィメンズマラソン。
3月17日 日本陸連理事会にて代表決定の予定。
全ては、日本陸連の ”自業自得” なのは明らかです。
もう、今回で最後にしてもらいたい。
日本陸連の ”台所事情” を自らの努力で解決すれば、最良の選考要項は生まれるはずである。
今朝、テレビで、元マラソン選手の千葉真子さんが、こんなことを言っていたのが興味深かった。
「2020年東京オリンピック代表選考は『本番コースを1年前に実施の一発選考』
はどうか!?」
という提案。
面白いと思いました。
本番コースで決着つけて1年間の準備期間がある。
選考レースが1年前の本番と捉えれば全ては解決するはず。
千葉真子さんは、現役時の2004年アテネ五輪代表選考で、選考レースのタイムは良かったものの当落ギリギリで落選した経験がある。
当時は代表枠3人で、野口みずき選手が早々と内定で残り2名、坂本直子選手、土佐礼子選手らと争った結果の落選。
そして、最後に
「国籍を変えてでもオリンピックに出場したかった」
と当時の胸の内を語ったのが印象的でした。
注目は、大阪国際女子マラソン優勝の福士選手がエントリーするか否かでした。
結果は、事前の予想どおり ”一般参加” でのエントリーとなりました。
まあ、それは事前に予想されていた事でもあり、先の記事【応援したくなった!!】にそのあたりの事は綴っています。
今回、注目すべき事は日本陸連が、福士サイドに「名古屋に出ることを避けてもらいたい」と異例の要望を出していたという事実です。
ただ現段階では「当確」は出せないという従来のスタンスは変えていません。
逆の見方をすれば、裏でリオ五輪への ”約束手形” を渡しとも捉えることもできる。
しかし、手形はあくまでも手形、期日に不渡り空手形に、なんてことも…
ここから、
日刊スポーツからの記事引用です。
神戸市内で日本選手権20キロ競歩を視察した麻場委員長は、けがのリスクを承知の上で名古屋にエントリーした 福士の強行出場について初めて口を開き、異例の要望を出した。
「福士選手は強化委員会が求めた条件すべてを満たした素晴らしい、申し分のない走りでした。名古屋に出ることは避けてもらいたい。そのために我々ができることがあればやっていきたい。メダルを狙える水準に達している。五輪でメダルを狙う盤石のプロセスをしてもらいたい」
と、
強化トップが、一選手のレース予定に触れることは異例。しかも名古屋回避の勧めだった。「予定は白紙ですが」としながらも「何もしないでいるわけにはいかない」と、福士の説得に乗り出す構えまで見せた。
選考要項の不備も認めた。福士は設定記録2時間22分30秒をクリアして優勝し現実的には五輪当確。だが設定記録が突破者が複数出た場合、その中で優劣を決める規定がなかった。そのため、日本陸連は五輪当確を出すことができなかった。
福士側のワコールの永山監督は、名古屋で代表2人の誕生のケースについて「名古屋の日本人2位というのは日本人1位に負けた選手。優勝した福士が選ばれず名古屋の2位が選ばれるなんてことがあってはいけない」と問題提起してきた。麻場委員長は「その話の筋は理解できる」とした上で「日本のレベルを鑑みて、2時間22分30秒が設定された。複数選手が超える設定で作っていなかった」と ”ルール” に隙間が存在することを認めた。
ただ、福士側がこだわる「当確」については「その辺は難しい。選ぶとはいえない。今から名古屋を走る選手もいる。3つの大会位が終わらないとそういうこと(当確)はできない」と従来のスタンスのまま。「最後の最後までできることをしたい」としたが、強化トップが出場してもルール上は ”空手形” になりかねない。
以上、
日刊スポーツより引用。
福士選手は、名古屋にエントリーしなければ当日のレースには出場できないのでエントリーしたのであり、出場しなければいけない!というわけではありません。
出場となると大阪国際女子から中41日、更には半年間で3回のフルマラソンを走ることになりますが、福士選手は走るのか?それとも走らないのか?
《女子マラソン・リオ五輪代表選考問題の流れ》
1月31日 大阪国際女子で福士が独奏優勝。2時間22分17秒は、2時間22分30秒の日本陸連設定記録を突破。
2月1日 福士陣営が名古屋ウィメンズ出場を検討。ワコール永山監督は「日本陸連から『(五輪)当確』という言葉がない」。
2月6日 丸亀ハーフの前日イベントで、日本陸連の酒井強化副委員長が「出るなとは言えない。選考要項ではわずかに落選もあり得る」と発言。
2月8日 永山監督が「(代表入りへ)生きるか死ぬかでやっている。我々は攻めるしかない」と合宿準備に入ったことを明かす。
2月21日 日本陸連麻場強化委員長が福士陣営へ異例の要望。
2月25日 名古屋ウィメンズマラソン、エントリー発表。福士は一般参加。永山監督「やめるのは落選ないと判断した時だけ!」
3月13日 名古ウィメンズマラソン。
3月17日 日本陸連理事会にて代表決定の予定。
全ては、日本陸連の ”自業自得” なのは明らかです。
もう、今回で最後にしてもらいたい。
日本陸連の ”台所事情” を自らの努力で解決すれば、最良の選考要項は生まれるはずである。
今朝、テレビで、元マラソン選手の千葉真子さんが、こんなことを言っていたのが興味深かった。
「2020年東京オリンピック代表選考は『本番コースを1年前に実施の一発選考』
はどうか!?」
という提案。
面白いと思いました。
本番コースで決着つけて1年間の準備期間がある。
選考レースが1年前の本番と捉えれば全ては解決するはず。
千葉真子さんは、現役時の2004年アテネ五輪代表選考で、選考レースのタイムは良かったものの当落ギリギリで落選した経験がある。
当時は代表枠3人で、野口みずき選手が早々と内定で残り2名、坂本直子選手、土佐礼子選手らと争った結果の落選。
そして、最後に
「国籍を変えてでもオリンピックに出場したかった」
と当時の胸の内を語ったのが印象的でした。