同じ場所ではないことに意味がある | 鍵盤師ゆーじのブログ

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鍵盤師ゆーじの修行記録。
ライブ情報、日々の記録などなど。
各地でライブしたり講師してます。

今、藤沢に向かってます。
ひと月にある日曜日のうちに、2、3回は藤沢に行きます。

他の曜日には川崎や、赤坂にもいきます。

また、リハーサルやライブなどで秋葉原や代官山、渋谷、池袋なんかもよく利用します。




1週間は7日。

7日間で色々な場所に行き、色々な人と何かをする。

この感じが今ある充実感をキープしてるのではないかなぁと思う。



これからもっともっとがんばって全国区な人になりたいなぁっていう野望。


出会いの数だけきっと素敵な音が生まれると思う。



と、眠い目を擦りながら乗る電車で思ってみたり。

▽▽


筋力の低下なのかなんなのか、
キーボードを担いで1日過ごしたあとの日は、体が重くて起きれません。。
プールで泳ぎたいなぁ。運動を週間にしたいなぁ。


▽▽

眠すぎるとまわりの会話が日本語に聞こえないよね。全部解読できない言語に聞こえる。言葉というか、単なる音。音程もない雑音。

フランス語やイタリア語なんかで会話してるのを聞いても雑音とは感じないものの、理解できないから限りなく雑音に近い音としてしか認識できない。


理解のできない音は雑音でしかない。
苦手なジャンルの音楽が聞きにくいのはこういうことなのか。

それがクラシックだろうが、パンクだろうが、メタルだろうが、ジャズだろうが。

そのジャンルに理解を示し、興味を持てば、雑音ではなく音楽に聞こえるだろう。

さらにそのアーティストや曲のバックグラウンドをしればさらに楽しめる。


音楽や絵画、芸術の分野を楽しむには、感覚的な理解が必要だなぁと改めて感じます。

なんて寝呆けた自分の頭の中身をぶちまけてみたり。



▽▽

こんだけだらだら書いてもまだ藤沢につきません。


あ、のだめカンタービレのフィナーレのエンディングがかなり素敵です。

おわり。