こんにちは、ややお久しぶりです。

投稿ペースが亀の歩みですみません。

 

今日は<令和4年7月19日現在>、

自分の現世での立ち位置を決意表明しておきたいと思います。

 

以下、私が思うこれからの時代で大切なことです。

私と違う考えをお持ちの方もいらっしゃると思います。

「考え方が違うな」と思われた方は、ご無理なさらず、そっと記事を閉じてもらえると良いかと思います。

 

それでは、よろしくお願いします。

 

 

 

私は常日頃から、どうして皆それぞれ違う世界観のなかで存在しているのかと疑問に思っておりました。

 

基本的には私は「皆違って皆良い」精神です。

例えるのなら、皆それぞれスマートフォンに搭載されているバージョンが違うように、世の中の認識がそれぞれ違うことは当たり前のことだと思っております。

 

これからの時代に於いては、個性やユニークさというものは尊重されていくものであってほしいと願っております。

 

それらのことを大切にしたうえで、そろそろ皆の足並みを揃え、同じ方向性に向かっても良い頃なのではないのかと思います。

 

以前、”目覚めているもの”と”目覚めていないもの”についての記事を書きました。

魂の覚醒 | Keys for the Future (ameblo.jp)

 

ですが、私は目覚めていてもいなくても、本来はどちらでも良いことなのだと思っています。

 

大切なのは、現世でどのような生き方を成すことだと思います。

それは大きな大成功を目指すことだけでなく、日々生きているだけでみんな素晴らしいです。

 

 

 

私の場合は少しイレギュラーで、もともとはスピリチュアルというものとは無縁で生きていましたスピリチュアルという文字すらほぼ触れたことはなかったくらいです。

 

それがとある個人的な事件をきっかけに突然覚醒してしまいました。

それ以降、世の中の見え方が大きく変わりました。

 

最初は、自分の頭がおかしくなったのかと思いました。

もしくは、ただの一時の混乱状態が起こっただけだと、自分を納得させようとしていた時期もありました。

 

色々と調べていくうちに”スピリチュアル”や”アセンション”、”世界線の移動”などということを知り、どうやら昔からそのような考え方は存在していたのだと知って、少し安心しました。

 

目覚めた当初、自分は「目覚めたくて目覚めたタイプではない」と思っていたのですが、どうやらそれは違ったようで、目覚めることはあらかじめ予定に入っていたようです。

 

しかし、その目覚め方があまりにも突然で、荒療治に近かったので、自分でも収拾がつかなかったので、落ち着くまでに時間がかかりました。

 

例えるのなら、ぐっすりと眠っていたところを突然たたき起こされたような衝撃でした。

 

 

 

 

 

今もしかしたら、「目覚めたい」「アセンションしたい」と思ってこの記事を読んでいるかたもいらっしゃると思いますが、無理にそそうなる必要は個人的にはないのではないのかと思います。

 

準備が出来たときに目覚めるのではないかと思うからです

 

アセンションについては、私もよくわかりません。

現世において無理にアセンションしようとも思っておりません。

 

その時を迎えてみないとわからないですが、個人的には肉体を持ったままアセンションするか、肉体が滅んだ後にアセンションするかの違いだと思っておます。これは私の考えなのであっているかどうかはわかりません。

 

それよりも、一日一日、毎瞬毎瞬を精一杯生きることに今は集中しています。

 

今の肉体は親が産んでくれて、神様からの一時の借り物だと思っているからです。

 

いつかこの肉体は滅びます。

現世は諸行無常であり、滅びゆかないものはないらしいのです。

 

アセンションよりも、現世で色々な体験をして、どのくらい精神的に成長できるかが、私にとって重要なことです。

 

それは衝撃的な目覚めの体験をする以前の幼少期より考えていたことです。

 

これが私にとって一つの生きる意味であり目的であり大切にしていることです。

 

 

 

このような考えに至るまで、一時期は周りの目覚めていない人たちを目覚めさせることが私の使命なのだと思っていた時期もありました。

 

今思うとそれは少し驕っている考え方でした。

 

冒頭でもお伝えしたように、私はここは個性とユニークさを尊重される世界線であると考えております。

 

誰かを変えるということは、それと真逆のことですね。

 

そこから、私は自分は自分の人生に集中し、出来ることがあるとするのなら、周りの人たちの人生のサポート役でいたいと考えるようになりました。

 

私は私の人生の主人公でありますが、同時に誰かの脇役でもあるという考え方に至ったからです。

 

今もこうして記事を書いておりますが、今読んでいてくださっているあなたは、この記事を読んでいる主人公であります。

 

 

 

 

ここまで長文を読んでくださってありがとうございます

 

この記事が読者の皆さまに何かしらの助けになれれば幸いです。