試練は魂を磨くための通過点だった
仕事がなかなか覚えられず、職場の人間関係にも馴染めず、モヤモヤしていた日々がありました。
「どうして私は、こんなに仕事を覚えるのが遅いんだろう」
「どうして職場に馴染めないんだろう」
そんなことを考えていた時期です。
けれど、今になって振り返ると、あの時期は、自分が一人前のスタッフとして自立するための「通過儀礼」だったのかもしれないと思います。
入職した当初は、他の人に頼ってばかりでした。
わからないことがあれば誰かに聞き、何かあれば助けてもらう。
でも、仕事を覚えるにつれて、自分でできることが増え、段々と仕事を任されるようになってきました。
今思えば、それは、自分が一人前のスタッフとして自立していくための過程だったのだと思います。
そして、職場の人間関係についても、少し違った見方ができるようになりました。
他の職員と、無理に馴れ合う必要はありません。
むしろ、馴れ合いにならず、確固たる自分を築いていくための采配だったのかもしれない。
そう思うようになりました。
では、私にとって「魂が磨かれた」とは、どういうことだったのでしょうか。
それは、自分は何のために、そして誰のために仕事をしているのかということの、原点回帰だったように思います。
私は、何のためにこの仕事をしているのでしょう。
それは、デイサービスの利用者さんに、心地よく過ごしていただくためです。
職場の人間関係に悩んでいると、いつの間にか「職場でどう見られているか」「周りとうまくやれているか」ということに意識が向いてしまいます。
でも、本来、自分が向き合うべきなのは、そこではなかったのです。
仕事を通して、自分の内側にある弱さと向き合うことで、人としても、スタッフとしても、成長するきっかけになりました。
今では、愛情を持って目をかけてくれる上司や先輩の言葉には、素直に耳を傾けながら、どうしても相容れない人とは、無理に分かり合おうとせず、サラリとかわしていけばいいと思えるようになりました。
すべての人と仲良くする必要はない。
自分が何のために、そして誰のために仕事をしているのか。
そこを見失わなければいいのだと思います。
あの頃は、ただただ苦しくて、どうしてこんなにうまくいかないのだろうと思っていました。
でも、今になって振り返ると、あの試練があったからこそ、自分自身と向き合うことができました。
仕事を覚え、自分で考え、少しずつ自立していく。
そして、自分がこの仕事をする意味を、もう一度考える。
あの時の苦しさは、私を苦しめるためだけのものではなかったのかもしれません。
あれは、自分が自分の足で立つための、通過点だったのです。
そして、私の魂を少しずつ磨いてくれた、ひとつの経験だったのだと思います。
オハナ
