*衆議院議院が10月9日に解散となり、10月27日に投開票が実施される。
新たに自民党の総裁となった石破さんは、国会で議論を尽くした上で解散して選挙を行う。とつい先日話していた。
ところが、国会での論戦を行わず、9日に解散して27日に投開票する。と舌の根も乾かないうちに、前言を破棄してしまった。このところ、石破さんの発言や行動は主体性を失って、右顧左眄し保身に傾いているようだ。
総理の言葉は重い。そう軽々と自らの発言を撤回しては、何を言っても国民は信用しなくなる。九思一言という言葉がある。聖人は何度も考えてその上で一言を述べる。この男に国を任せても大丈夫か?
そこに、その人の生きざまが現れる。哲理が現れる。決意が現れる。
中国の習近平。北朝鮮の金正恩。ロシアのプーチンなど軍事力を増強し他国を恫喝して保身を図る近隣諸国を相手にして、日本の国を毅然と守る強い意志を持つリーダーの誕生が急がれる。
石破さんは「保身」のために動いた。
国を守り、国民の命と生活を守るのが二の次になってきたことを危惧する。
*兵庫県知事の選挙。
斎藤知事を訴える告訴状が3月に関係者に送られた。これに対して斎藤は「誰が送ったのか?」「告訴された内容の真偽」を公正な第三者に調査させなかった。
告訴された自身が、腹心の部下に調査させた。片山副知事は、西播磨県民局長に目星をつけて、誰が送ったのか? 誰が局長に情報提供したのか?と告訴状の情報提供者の降格を示唆する人事権を振りかざして詰問した。脅し、である。恫喝である。
局長は自分が送ったことを認めたが、誰が知事の不祥事を局長に伝えたか?については、情報提供者への報復を恐れて「噂をまとめただけだ。飲み屋でも噂になっている」と、言い張って答えなかった。
片山副知事は、斎藤に「西播磨県民局長が噂話をまとめて、でっち上げたのを送った」と知事に報告。したと見られる。
何故なら斎藤は、「知事を陥れる目的で根も葉もないうわさ話を拡散した。嘘八百である」。と断罪、この嘘八百という見解をもとに県の顧問弁護士に相談して、この3月に定年退職予定の県民局長を急いで懲戒処分にした。局長はそのため退職金を受け取れなくなり、予定していた再就職も出来なくなった。局長に斎藤知事の情報を提供した県の職員に調査の手が伸びるのを危惧。悲嘆したからか自殺を図ったとみられている。
しかも局長の遺児に奨学金を送る準備をしていた県職員にそれを中止させた。そうだ。
懲戒解雇する事由に当たらない筈なのに、斎藤は「正当な判断をした」と言い張った。今も言い張っている。
阪神とオリックスの優勝パレードに要する資金を、銀行への補助金を出す見返りに寄付させた、と疑われる事案も真相は未解決のままであり兵庫県警が動く可能性がある。
議会全員からの不信任決議によって斎藤知事は辞職を求められたが、斎藤は県会を解散しないで自身の失職を選び、4年間の知事職に立候補して保身に邁進している。現在、沿線の駅前で頭を下げている。厚顔無恥ではないか?
知事選の立候補者が乱立したなら、斎藤が少数の支援であっても当選しかねない。
兵庫県会議員は候補者を一人に絞って連帯して推すべきである。
斎藤を知事に推挙して3年前に当選させた維新は、何を勘違いしたのか独自候補を立てた。これも保身のためであって県民の幸福などは全く考えていない。と言えよう。
立候補者が乱立する様相を呈してきた。
*政治の目的は、「国民の命と生活を守り喜ばせること」である。行政能力のみならず、人の命と生活を守り愛する高潔な人間性が必須である。その能力の有無を国民一人一人が判断して選ぶ必要がある。
国会議員も、知事職も県会議員も同じ目的である筈だが、保身と我欲が目的の選挙になってしまうならば、可哀そうなのは国民である。
議員のための政治ではない。国民のための政治である。
人の「命と生活を守り安心できる平和な国」を国民主役で作ってもらいたい。
*自分の力で生きているのではない。
「命」は、生かされている、守られている、愛されている。喜びがもたらされている。のである。
その奇跡に感謝すること。これが人として生きる上で最も大切な、必須の行いだ。「有難う」という言葉は、「有難い」と、この世に生を享けている奇跡に対する感謝と讃嘆の言葉である。
「命」は、生み出された存在であると同時に、「命」を生み、生かし、守り、愛して、喜びを齎す存在でもある。
その存在は、宇宙と命を貫く「妙法蓮華経」という「法」なのです。宇宙と生命の根源の法です。
「妙法蓮華経」は、感謝と讃嘆の言葉です。
*自身の目先の欲望を満たすことに狂奔する世相となってきた。悲しいかぎりである。
「命」に意識を置け! 「命」を喜ばせることが生活の根本目的である。
*御書に曰く。
「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」
保身をしたいのであれば自身を取り巻く全てが、平和であることを禱りなさい。
周囲の人びとの生活が、幸福で安全で安心して暮らせるようにと、祈り行動してこそ、自身の命と生活が守られる。ということではないでしょうか?
アイマース久美高筆

