*昭和天皇が崩御され新しい年号が有識者から提案されました。
府立大阪女子大学の学長を経験され、万葉集に造詣の深い国文学者の中西進さんが、万葉集の言葉の中から「令和」という年号を提案されたようですね。
「令和」という言葉は、和ごま令む(なごましむ)と読めますね。
*その中西進さんが、2019年に語っています。
「物理学から心理学、文学などさまざまな学問がありますが、では何を求めて研究するのか?」と。
*中西さんいわく。わたしは、すべては幸福のためであり、あらゆる大学は「幸福大学幸福学部幸福学科」と呼ぶべきではないか、と言いたいぐらいに考えています。
*中西さんの本質を突いた卓見です。この世の全ての人に安心して喜んで生きてもらいたいものですね。
その意味でボクは、あらゆる大学にとどまらず、あらゆる生活。あらゆる産業は、人を幸福にするために存在していることを訴えたいのです。
*「幸福」というのは「命」が生きることを喜んでいる状態。と言えるのではないでしょうか?
また、同時に「幸福」というのは、人を活かし守り愛して喜ばせている「命」の状態でもあるのではないでしょうか?
*法華経では、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」と述べられています。
世間の一切の生活、産業は皆実相(慈悲)の表現である。と僕は理解しています。
*家庭の主婦であれ、会社の社長であれ従業員であれ、あるいは定年で退職した人であれ、「命」ある人は自身の命が生かされ守られ愛され喜びをもたらされていることを自覚できれば「感謝」します。
感謝するならば、人の命を生かそう守ろう愛そう喜ばせよう。という心が自然と湧いてくるものです。
*「感謝」と言うのは、「有難い」と感動するとともに、「ごめんんさい」と謝る心ではないでしょうか?
*なぜ謝るのでしょうか? それは、まだまだ人を生かし守り愛して喜ばせていないことを謝るのです。
*病に伏して苦しんでいる人がいます。戦争に巻き込まれて苦しんでいる人がいます。核兵器を開発して核のボタンを押そうとしている人に恐怖を抱いている人がいます。全ての人が喜べる時まで、私たちの働きかけが必要とされています。
*また、全ての人は、思うように生きれないという煩悩を抱えています。全ての人は、生老病死即ち、生きる苦しみ老いる苦しみ病の苦しみ死の苦しみと恐怖。を抱いています。
*しかしそれから逃れずに直視して、生かされていることに感謝して喜びの心を抱けば、いつの間にか人の幸福のために動いている、、、それが平和運動をすることであり、自身を幸福にする運動となるのではないでしょうか?
*私たちは生涯、生きる喜びに感謝し、平和な世の中を築く使命をになっているのです。そう思われませんか?