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*藤原正彦さんの寄稿は、派閥裏金の病理、なぜ日本人は不正直になった? GHQ,反日、グローバリズムについて語っている。以下にその一部を記してみたい。

 

*不正直や不誠実は、自民党ばかりでなく野党をも含めた国会議員、さらには県会議員、市会議員にも広がっているはずである。また、ビッグモーターやダイハツだけでなく、程度の差こそあれ、ほとんどすべての企業で、いや、

殆どすべての組織で行われ、看過され、隠蔽されているのではないか。

 

*明治の文明開化以来、西洋からの新しい思潮にすぐに飛びつくという悪弊が生まれた。帝国主義、マルキシズム、ファシズム、そして戦後は、原爆投下という大罪を犯したアメリカの自己正当化にすぎないGHQ史観に他愛無く染まり、反日史観にとりつかれ、グローバリズムに流されている。

 

*明治になり武士が不要になったのは仕方がないが、慈愛、誠実、惻隠(弱者への涙)、勇気、卑怯を憎む、などを主とする武士道精神までが衰微したのは大きかった。日本人は形を失ったのである。

 

*哲学者の唐木順三は「基盤となる形を持たない個性は新しい思潮に常に圧倒される」と述べている。

 

*新自由主義とは規制をなくし「皆が公平に戦おう」というものである。一見合理的な話だから政治家、官僚、経済界、アメリカ帰りのエコノミスト達、そして独自の見解を持たず彼らに盲従するばかりのメディアが協力にこれを支持した。

 

*その結果、成果主義が生まれ、弱肉強食の競争社会となり、一億総中流社会と言われた社会が少数の勝者と大勢の敗者に分断され、歴史的に世界で最も金銭崇拝から遠かった我が国が、金銭至上主義となった。日本を日本たらしめてきた誇るべき情緒、そして行動規範となる形は忘れられた。

 

*私は高校一年の頃、「けふのうちにとほくへいってしまふわたくしのいもうとよ」で始まる宮沢賢治の詩「永訣の朝」を読んで心を揺さぶられた。

 

*死の床にある二十四歳の妹とし子が高熱であえぎながら、庭の松の枝から雪を取ってきて食べさせて欲しいと言う。賢治が、二人が慣れ親しんだ茶碗に入れてその雪を食べさせると、妹は「生まれ変わったら自分のためでなく他人のためにも苦しむ人間に生れてきたい」と言って息を引き取った。賢治は、「わたくしのけなげないもうとよ わたくしもまっすぐにすすんでいくから」と誓うのだった。

 

*この詩を読んで感動した私は、自分もこれからはまっすぐに生きていこう、何が何でもまっすぐに、と自らに強く言い聞かせた。一篇の詩との出会いが私の指針となった。子供たちにこんな経験をさせたいのである。

 

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(アイマース久美高は思います)

 

*日本人は基盤となる形を失った。という悲しみが伝わってきますね。基盤というのは、哲理・宗教とも言えるでしょう。宮沢賢治は法華経の信仰者でした。

 

 三千年前にインドで釈迦が法華経を説き、その後唐の天台が法華経のエッセンスを魔訶止観(像法時代の法華経)に説く。伝教が唐に渡って仏教を学んで日本に持ち帰りましたが、その後邪義に陥り雑乱。

 

*釈迦が滅後2000年後以降の末法の法華経の弘通を託した上行菩薩の先駆けとして、日蓮が法華経の要・妙法蓮華経を建長5年(1253年)に立宗宣言する。

 しかし、その後に分裂して紆余曲折。昭和5年に牧口常三郎が創価教育学会を創立、日蓮の妙法蓮華経を護持。戸田城聖、池田大作と三代の会長の師弟が共戦、今では世界192か国に妙法蓮華経が広がっている。

 

*法華経の基盤の形は「慈悲」であり、①生命を活かし守る。②世界平和を実現する。この2点。

妙法蓮華経は、命の法であり、宇宙の法。私たちの「命」を、生み、生かし、守り、愛し、喜ばせる、慈悲の法です。

 

*自身の「命」が、生かされ守られ愛され喜ばされている。それに気づいて南無妙法蓮華経と感謝すると、生命力が湧いて、すべての「命」を生かそう守ろう愛そう喜ばせよう、という意識が湧いてくる。平和運動の原動力ともなる。

 

*これが、南無妙法蓮華経を唱える人の基盤となる「形」であり、行動規範とも言えるのではないでしょうか。

藤原正彦さん、日本人としての「形」、世界人としての「形」が、ここにしっかりと息づいていますよ(笑)

 

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