*医師であり作家である渡辺淳一さんは、「失楽園」を著した方である。彼が「反常識講座」で語っている。
*生き物の原点には恋愛がある。いいかえると、この世の生きとし生けるもののすべては愛から生まれてくる。その意味で、恋愛は命の輝きそのものだし、そのために人間がいて、男と女がいるのである。その生命体の最も根源的な恋愛を無視して、金儲けに走ったり、地位が上がることのみに汲々としていたのでは、何のためにこの世に生れて来たのかわからない。
*金とか地位がなくて屈折する人は多いが、かわりに愛があればかなりカバーできる。逆に地位や金があっても、愛がない人生では淋しすぎる。
*いうまでもなく、死は人間にとって最大の恐怖だけど、それに辛うじて対抗できるのは、愛だけである。これは医師のころに実感したのだが、死を予感して恐れおののいている人も、愛を与えられれば落ち着き和む。いずれ死は避けられないとしても、愛する人が横にいて手を握ってくれるとか、背中を摩ってくれるだけで、一時的にしても安心して穏やかになる。
*こういう例をいくつも見ていると、死に唯一対抗できるのは愛しかない。愛こそ、人間が一生かけて求め、探している宝石なのだということがしみじみ分かってくる。
*人間は死ぬまで愛を追い求める。たとえ得られなくても、追いかけたいと願うあいだは人間で、それをあきらめたときから人間は人間でなくなってしまう。
。。。。。。。。。。。。。。。。。
(アイマース久美高は思います)
*死を経験した人は居ない。僕の身の周りにも、「死ぬのが怖い」と言った人が居た。また、「もう十分生きた。悔いはない。生命維持装置を外してくれ」と言った人もいる。また、生きる苦しさから、「早く死なせてほしい。死んだら楽になるから」と言う人も居た。
*その死の苦しみを、愛が和らげてくれるのだろうか?
*法華経では、生命は無始無終であり、本有の生死を生きる。と教えている。
命が生かされていることに感謝し、命を生かし守り愛して喜ばせたか?という因によって、果としての死後の生命が営まれる。と説いている。
*愛する。と言うことが、「命を生かし守り喜ばせる」という意識である。とすれば、よい因果となるのではないか。
*意識には、力がある。と最近の科学が立証しているようです。ならば、良い意識をいつも奥底に抱いていることは大切なことかも。
*ボク的には、「自分の命が生かされていることに、感謝の気持ちを抱いて生きる」。これに尽きるような気がします。