野中先生の直言は、組織運営の本質は、デカルトの二元論の奥底に欠落している「命」にある。として、西欧的な手法の行き詰まりを指摘しているように思われる。前回に引き続き、先生の直言「共感を重んじ知を磨け」から抜粋して以下に記録し、組織運営の在り方を考えてみたい。
計画や数値に偏重した経営が失敗を招いたとしたら、何が成功の鍵を握るのか。成功の本質とはどんなものか?
*モノマネでは元も子もない。だから私は、「考える前に感じろ」と訴えている。ソニーを再生した平井一夫前会長が、改革には「IQ(知性)よりEQ(感性)だ」と話していたのが興味深い。「感動」というパーパスで自信を失いかけた社員のマインドセットを変えたのが「共感」だった。6年で70回以上タウンホールミーティングをしつこくやったという。
*そこで重要になるのが個人に眠る暗黙知を集団で共有するプロセスだ。さらに徹底した対話を経て、暗黙知を言葉や論理による形式知に変換する。
*計画や数値ではなく、現実を生で感じて全身全霊で共感し暗黙知を獲得するところから始まる。ホンダは経営や商品開発について現場の社員が徹底的に討論する「ワイワイガヤガヤ」を重んじてきた。これは対話を通じて集合的に本質を直感する場だ。
*エーザイの内藤晴夫最高経営責任者(CEO)は、30年前になるが、研究所に泊まり込み、研究員一人ひとりと膝詰めで「何のために新製品開発が必要か」と対話を続けて何十年もあきらめなかった結果が認知症治療薬「レカネマブ」を生んだともいえるだろう。
*ここ数年、「ヒューマナイジング・ストラテジー」を提唱して、論理や分析が過多になった現代日本に警鐘を鳴らしている。本来は人の営みである経営戦略に「人間」を取り戻そうということだ。
*日本にアメリカのGAFAのような企業群がなかなか生まれないのは、知の体系の差といえる。日本企業にも培ってきた研究や技術を生かす構想力があれば、何をやって何をやらないかの意志決定も速い。
*時代が要求する方向でなく、取りまとめる人が好む方向に進んでしまう傾向がコロナ対応などでみられた。日本軍の失敗の姿と重なる。
*ベトナム戦争の当時、米国務長官のロバート・マクナマラはデータ分析を駆使したが、数値に現れないベトナム人の愛国心や強さを洞察することができず、独善的に戦略をたてて甚大な被害を出した。
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(アイマース久美高は思います)
*「古い脳」は、数値目標を全く理解できないそうだ。理解しようと悩んでストレスになってしまうのがオチである。
目標を達成すれば、どうなるのか? どうするのか? そこに楽しい情景を描くことができたら、古い脳に明確なメッセージを送ることになるようだ。
僕もサラリーマン時代、営業成績の目標数字はストレスの元であったし、楽しいものではなかった。
*組織内でのラインで、一方的な通知・伝達は、そこに何の対話も無いから、無味乾燥なコンクリートを相手に投げつけることになりかねない。
*座談会や会合でも、一方的な報告や話に終始して対話がなければ、ワイワイガヤガヤも無く、参加者はシンドイ思いをするだけで喜びが生まれない。
会合が義務で開催されている。かもしれない。と自覚し反省してみる勇気が必要と思われる。
*僕の持論から言えば、自分の「命」が「くみたかひちう」によって生かされ守られ愛されていることに感謝して喜びの心でいると、人の命を生かそう守ろう愛そう、そして喜ばせよう。という気持ちが無意識のうちに湧いて来る。
「目標」というのは、その達成が人の喜びに直結していていることを想像してこそ、楽しくうれしくなる。
*学生時代に、ゼミで勉強したのは、ケインズの「雇用・利子・貨幣の一般理論」だったかな。
内容は「命」の喜びには繋がらないからか、僕の勉強不足からか、理解力不足からか、面白くない授業だった。
*学校を卒業後に、経済学の祖と言われるアダム・スミスが、経済の取引は「共感」から生まれる、と説いたと聞いて驚いた。そこには、数字ではなく、「共感」という心の存在が描かれていることから「経済学」に対する親近感が一挙に湧いたのです。
*全ての現象は、「命」と関わっており、常に「命」に意識を置くことは大切なことです。
*自分の力で生きているのではない。自身の「命」は生かされているんだ!
それに気づけば「感謝」の心が湧き喜びが満ちてくる。謙虚になる。人の「命」を生かそう、守ろう愛そう。喜ばせよう。という気持ちが湧いて来る。
「喜」とは、自他ともに喜ぶことである。