ここに引用する詩は、鈴木秀子先生が雑誌「致知」4月号で紹介された、武者小路実篤の平和と題する詩。
*平和
峠の上から
人々の働いてゐるのを見ると
平和そのもののやうだ。
麦を刈ってゐる者
田植をしてゐる者
馬で田畑を耕してゐる者
仔馬は母親の廻りを飛び跳ねてゐる。
それを太陽は慈悲深く
しかし厳かに照らしてゐる。
平和そのもののやうだ。
平和の神は太陽と共に
この世を照らしゐるのだが
人々はまだそれを受け入れることが
できないのではないか。
神は人々と共に働いてゐるのだが
人々はそれに気がつかないのではないか。
*この詩の後に、鈴木先生が次のように語っています。
人間の欲望渦巻く社会の中にあっても、そういう人間意識を超えたところで、大宇宙は変わることのない秩序で動いています。その厳然たる事実に心を開く必要があります。
恐怖心に苛まれ、社会の閉塞感に息苦しさを覚えたとしても、死ぬこともなく命が与えられている。手や足が動き、食事をおいしくいただける。住む家や働く職場があり、日々の生活の糧を得ることができる。自然に目を向けて見れば、太陽の光も水も空気も、生きる上で必要なものはすべて無条件に与えられている。これら一見当たり前のように思えることの価値、その素晴らしさを感じ取る中にこそ本当の幸せがあります。
幸せは遠くに手を伸ばして掴もうとするものではなく、当たり前の日常がいかにありがたいかを噛みしめて生きることなのです。
実篤の詩にある「峠の上から見る」とは、目に見えない力に生かされていることを感じ取ることです。その喜びを静かにかみしめていると、騒がしい心がいつの間にか穏やかになり、平和になってきます。ワクワクするような躍動感はなくても、深くて静かな喜びが泉のように湧き出してくるのを感じ取ることができます。
その平和な気持ちは、いつの間にか周囲にも伝わり、人々を穏やかにしていきます。このようにして一人ひとりが、”幸せ発信地”となった時に世の中は平和になってゆくのです。。。ここでいう神は大自然、大宇宙、お天道様と置き換えてもいいと思います。
目に見えない大いなる力によって命を与えられ、生かされていることの奇跡と価値に僅かでも意識を向けていただきたい、というのが私の思いです。
成長とは愛のある人格になるために命が尽きるまで自分を磨き続けることです。その成長の鍵となるのが気づきです。
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私たちは自分の力で生きているのではない。大宇宙に生かされているのだ。その奇跡に気づき感謝することが幸福であり、平和をもたらす源である。ということを、武者小路実篤の詩から敷延して、鈴木秀子先生が訴えておられます。
ボクが伝えたいことを、鈴木先生が分かりやすく説いておられますね。うれしいです。
人々に幸福と喜びがもたらされますように! 世界が平和でありますように!
(アイマース久美高 筆)

