※この記事は2024年2月8日にSNSにアップしたものを転記。加筆しています。従って写真や文章等はその当時のものとなっています。
皆様こんんちは。
前々回は、小金井公園に桜の花見に行ったことを書きました。その中で触れたように、この日も小金井公園内にある江戸東京たてもの園に入場するにはしたのですが、園内の桜の木を除いて一切写真は撮らずにゆっくり見て回りました。そこで、2024年2月8日に行った時の様子を転記してみました。
ただ当時、写真をしっかり撮ったので全て載せたのかなあと思っていたのですが、全てではなく主だった建物だけ載せたようです。そこで今回はSNSでは載せなかった写真を探し出して追加で掲載すると共に、一部撮影に不備のあった物、撮影してない建物は江戸東京たてもの園のホームページからお借りして体裁を整えました。写真の説明の後ろに※印がついているものは、ホームページからお借りした写真です。また説明文のほとんどもホームページからお借りしています。ご了承ください。
そのホームページは建物内や周囲をぐるっと見ることが出来る360°パノラマビュー機能、それぞれの建物に関するえどまる(宮崎駿さんが制作した虫のキャラクター)が紹介するブログも見ることが出来ます。よく出来たホームページなので併せてご覧ください。
入口は小金井公園の一画にあります。
前回もリンクを張りましたが、こちらが江戸東京たてもの園のホームページになります。
入口の事務室や券売所、売店展示室のある建物です※
名称
- ビジターセンター(旧光華殿)(きゅうこうかでん)
- 建築年代
- 1940年(昭和15)
- 旧所在地
- 千代田区千代田
- 解説
-
1940年(昭和15)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために建設された式殿です。
1941年(昭和16)に小金井大緑地(現在の小金井公園)に移築され、光華殿と命名されました。 江戸東京たてもの園の開園にあたり、ビジターセンターとして改修しました。 -
入って西ゾーンに進むと、左手にボンネットバスがありました。いすゞ自動車が開発した4WD「TS11型」を改良した車両です。
西ゾーン 綱島家(農家)
- 名称
- 綱島家(農家)(つなしまけ)
- 建築年代
- 江戸時代中期
- 旧所在地
- 世田谷区岡本三丁目
- 解説
-
多摩川をのぞむ崖線上にあった、広間型の間取りを持つ茅葺きの民家です。広間と土間境の長方形断面の大黒柱や、オシイタという古い形式の板などから、建物の歴史が感じられます。
奄美の高倉
名称
- 奄美の高倉(あまみのたかくら)[旧武蔵野郷土館収集] 小金井市指定有形文化財
- 建築年代
- 江戸時代末期頃
- 旧所在地
- 鹿児島県大島郡宇検村
- 解説
-
奄美大島にあった高床式の倉庫です。湿気や鼠の害から穀物を守るために、建物本体を地面から高く上げています。
このような高床式の建物は、東京都の八丈島などにも見られます。 -
-
吉野家(農家)
- 名称
- 吉野家(農家)(よしのけ)[旧武蔵野郷土館収集] 小金井市指定有形文化財
- 建築年代
- 江戸時代後期
- 旧所在地
- 三鷹市野崎二丁目
- 解説
-
江戸時代後期に建てられた民家です。吉野家は江戸時代に野崎村(現在の三鷹市野崎)の名主役を務めた家といわれ、式台付きの玄関や<付書院>のある奥座敷に格式を見ることができます
八王子千人同心組頭の家
- 名称
- 八王子千人同心組頭の家(はちおうじせんにんどうしんくみがしらのいえ)
- 建築年代
- 江戸時代後期
- 旧所在地
- 八王子市追分町
- 解説
-
八王子千人同心は、江戸時代、八王子に配備された徳川家の家臣団です。 拝領屋敷地の組頭の家は、周辺の農家と比べると広くありませんが、 式台付きの玄関などは、格式の高さを示しています。
デ・ラランデ邸
- 名称
- デ・ラランデ邸(で・ららんでてい)
- 建築年代
- 1910年(明治43)ころ
- 旧所在地
- 新宿区信濃町
- 解説
-
この住宅は、元は平屋建ての洋館でしたが、1910年(明治43)年頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わりましたが、1956年(昭和31)から、三島海雲がこの住宅に住んでいました。1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていました。
-
三井八郎右衛門邸玄関
三井八郎右衛門邸庭園からの全景※
名称
- 三井八郎右衞門邸(みついはちろうえもんてい) 東京都指定有形文化財
- 建築年代
- 主屋:1952年(昭和27)土蔵:1874年(明治7)
- 旧所在地
- 港区西麻布三丁目
- 解説
-
港区西麻布に1952年(昭和27)に建てられた邸宅です。
客間と食堂部分は、1897年(明治30)頃京都に建てられ、戦後港区に移築されたものです。また、蔵は1874年(明治7)の建築当初の土蔵として復元しました。 -
-
小出邸
小出邸をホームページの写真から※
名称
- 小出邸(こいでてい) 東京都指定有形文化財
- 建築年代
- 1925年(大正14)
- 旧所在地
- 文京区西片二丁目
- 解説
-
日本におけるモダニズム運動を主導した建築家堀口捨己が、ヨーロッパ旅行からの帰国直後に設計した住宅です。
当時オランダで流行していたデザインと、日本の伝統的な造形を折衷した造りになっています。
常盤台写真場
名称
- 常盤台写真場(ときわだいしゃしんじょう)
- 建築年代
- 1937年(昭和12)
- 旧所在地
- 板橋区常盤台一丁目
- 解説
-
健康住宅地として開発された郊外住宅地常盤台に建てられた写真館です。
照明設備が発達していない当時、最も安定した照度を得るために、 2階写場の大きな窓には北側から光を採ることができるように摺りガラスがはめこまれています。
常盤台写真場の説明板。
~SNSより引用~
東武東上線の常盤台駅の近くに、東武鉄道か開発したときわ台団地というのがあり、その中にあったときわ台写真館です。2階の撮影室はたくさんの自然光を採り入れる構造で、1階の玄関の所で係の人からその説明を受けて2階に上がってみたら、本当にとても明るい撮影スタジオでした。
~引用終わり~
これはSNSで常盤台写真場について書いたキャプションです。

ここは中も丁寧に撮影しています。生活の様子がありありとわかる建物でした。これはお風呂。
そして台所と奥は食堂。
ここを何の知識も持たずに見学したら、食堂に「東武鉄道直營 常磐台住宅地案内図」というパネルが掲示されているのを見て、おお!こんな所で東武鉄道の文字を見るとは思わなかったとうれしくなりました。
そして、家に帰ってから常磐台住宅地のことを調べていると、常磐台住宅地が何と東武鉄道西板線計画の落とし子であったことに更に驚きました。
そのことが、常盤台の景観を守る会 常盤台まちづくり委員会という団体が出している、常磐台まちづくりというサイトの中の「常磐台住宅地の誕生 常磐台の生い立ち」という項目に、
西板線の操車場として東武鉄道が付近一帯を買収したのに、西板線計画が頓挫したことで、東武鉄道が初めて郊外住宅地として開発したということが書かれています。
~引用終わり~
食堂にあったこの案内図にすごく感動しました。わが日光市に縁の深い東武鉄道の名前をこの地で発見したからです。
これは子供部屋。窓辺にカウンターがありました。
これは老人室。
そして居間。
応接室。
2階に上がって、支度室。写真撮影をする人の支度室ということでしょうね。
現地の案内、またはパンフレット、ホームページの説明にもありますが、この北側の大きな窓があることで、写場は1階から上がってくると、わあという感嘆の声が出た位ものすごく明るかったです。1937年、昭和12年ですからね。今のような明るい照明もないような時代に、こんな工夫で今にも通用するような明るさを外からの自然採光で取っているのですからすごいですよね。
写真、それも一眼レフとかでなく、スマホ搭載のカメラで撮った写真でもその明るさは伝わるかなと思います。
前川國男邸
- 名称
- 前川國男邸(まえかわくにおてい) 東京都指定有形文化財
- 建築年代
- 1942年(昭和17)
- 旧所在地
- 品川区上大崎三丁目
- 解説
-
日本の近代建築の発展に貢献した建築家前川國男の自邸として、 品川区上大崎に1942年(昭和17)に建てられた住宅です。
戦時体制下、建築資材の入手が困難な時期に竣工しています。 外観は切妻屋根の和風、内部は吹抜けの居間を中心に書斎・寝室を配した シンプルな間取りになっています。
田園調布の家
田園調布の家ホームページの正面からの写真※
- 名称
- 田園調布の家(大川邸)(でんえんちょうふのいえ)
- 建築年代
- 1925年(大正14)
- 旧所在地
- 大田区田園調布四丁目
- 解説
-
1925年(大正14)郊外住宅地の一つである大田区田園調布に建てられた住宅です。
居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。また、当時としては珍しく全室が洋間となっています。
センターゾーン 旧自証院霊屋
- 名称東京都指定有形文化財
- 旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや) 東京都指定有形文化財
- 建築年代
- 1652年(慶安5)
- 旧所在地
- 新宿区市ヶ谷富久町
- 解説
-
尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために建立(こんりゅう)した霊屋です。
この建物は東京都の文化財指定を受けています。
高橋是清邸
名称
- 高橋是清邸(たかはしこれきよてい)
- 建築年代
- 1902年(明治35)
- 旧所在地
- 港区赤坂七丁目
- 解説
-
明治から昭和のはじめにかけて国政を担った高橋是清の住まいの主屋部分です。
総栂普請(そうつがぶしん)で、食堂の床は寄木張りになっています。2階は是清の書斎や寝室として使われ、1936年(昭和11)の2・26事件の現場になりました。 -
- 高橋是清邸庭園
- 港区赤坂にあった高橋是清邸庭園の一部を復元しています。組井筒を水源にした流れと、 雪見型灯籠などを含む景観を再現しています。是清は芝生で日光浴や庭の散歩を好んだといわれています。
-
-
高橋是清邸説明板
ここが是清が起居した書斎と寝室です。ここで1936年(昭和11年)に起こった二・二六事件事件で、当時は大蔵大臣を務めていた是清が、クーデターを起こした陸軍の青年将校により暗殺されたその場所です。SNSのお友達は、ここを見て鬼気迫るものを感じたそうです。僕は歴史の舞台の一つに立ってるんだなあ位の感覚でしたが。
伊達家の門
- 名称
- 伊達家の門(だてけのもん)[旧武蔵野郷土館収集]
- 建築年代
- 大正期
- 旧所在地
- 港区白金二丁目
- 解説
-
旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。〈起り屋根(むくりやね)〉の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。
総欅(けやき)造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、宇和島藩伊達家の家紋が木彫りで施されています。 -
これは当日、伊達家の門を見たあとに、西川邸の庭から西川邸を動画で撮影した物です。余りに横に長い建物だったので、旅館か何かなのかなあと思いました。パノラマ撮影でもしない限りは写真に収まり切れないな、それなら動画のほうが大きさの実感が掴みやすいなと動画撮影したものです。そんなこともあって、実際は右端のほうには、会水庵という茶室があるのですが、西川邸の一部なのかなと思っていました。でも実際は別々の場所から移築した物を隣あって配置したということのようですね。
個別の写真はホームページからお借りします。
西川邸※
名称
- 西川家別邸(にしかわけべってい)
- 建築年代
- 1922年(大正11)
- 旧所在地
- 昭島市中神町二丁目
- 解説
-
北多摩屈指の製糸会社を設立した実業家西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てた邸宅です。
多摩地域の養蚕・製糸業が最盛期をむかえた時期(大正期から昭和初期)に建てられ、 よく吟味された部材が使われています。 -
会水庵※
名称
- 会水庵(かいすいあん)
- 建築年代
- 大正期頃
- 旧所在地
- 杉並区西荻北五丁目
- 解説
-
宗徧(そうへん)流の茶人、山岸宗住(会水)が建てた茶室です。
1957年(昭和32)、劇作家の宇野信夫が買い取り、西荻窪に移築しました。 本畳三枚と台目畳一枚からなる三畳台目の小間の茶室です。 -
東ゾーン 江戸天明家(農家)※
- 名称
- 天明家(農家)(てんみょうけ)[旧武蔵野郷土館収集]
- 建築年代
- 江戸時代後期
- 旧所在地
- 大田区鵜の木一丁目
- 解説
-
江戸時代、鵜(う)ノ木村(現在の大田区内)で重職を勤めた旧家です。
正面に千鳥破風(ちどりはふ)をもつ主屋・長屋門・枯山水庭園などに高い格式がうかがえます。 -
-
東ゾーンの南にあった都電7500形車輌
- 名称
- 都電7500形
- 製造年
- 1962年(昭和37)
- 所属営業所
- 青山営業所→柳島営業所→荒川営業所
- 解説
-
渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・(神田)須田町まで走っていた車輌です。交通量の急激な増加にともない、都電は荒川線を除いて1963年(昭和38)から順次廃止されました。
-
-
車内です。
東ゾーンは商業に関する建物が集められていました。
丸二商店(荒物屋)
名称
- 丸二商店(荒物屋)(まるにしょうてん)
- 建築年代
- 昭和初期
- 旧所在地
- 千代田区神田神保町三丁目
- 解説
-
昭和初期に建てられた荒物屋です。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴です。
店内は昭和10年代の様子を再現しています。裏手には長屋も移築し、それとともに路地の様子も再現しています。
植村邸
名称
- 植村邸(うえむらてい)
- 建築年代
- 1927年(昭和2)
- 旧所在地
- 中央区新富二丁目
- 解説
-
建物の前面を銅板で覆ったその姿は、〈看板建築〉の特徴をよくあらわしています。
外観は、全体的に洋風にまとまっていますが、2階部分は和風のつくりとなっています。
大和屋本店(乾物屋)
名称
- 大和屋本店(乾物屋)(やまとやほんてん)
- 建築年代
- 1928年(昭和3)
- 旧所在地
- 港区白金台四丁目
- 解説
-
港区白金台に1928年(昭和3)に建てられた木造3階建ての商店です。3階の軒下を伝統的な〈出桁造り〉にする一方、間口に対して背が非常に高く、看板建築のようなプロポーションのユニークな建物です。戦前の乾物屋の様子を再現しています。
店先にあったそろばんとレジスターです。
花市生花店
名称
- 花市生花店(はないちせいかてん)
- 建築年代
- 1927年(昭和2)
- 旧所在地
- 千代田区神田淡路町一丁目
- 解説
-
昭和初期に建てられた〈看板建築〉の花屋です。建物の前面は花屋らしくデザインされています。店内は昭和30年代の様子を再現しています。
武居三省堂
名称
- 武居三省堂(文具店)(たけいさんしょうどう)
- 建築年代
- 1927年(昭和2)
- 旧所在地
- 千代田区神田須田町一丁目
- 解説
-
明治初期に創業した文具店です。当初は書道用品の卸をしていましたが、後に小売店に変わりました。
建物は関東大震災後に建てられた〈看板建築〉で前面がタイル貼りになっていて屋根の形にも特徴があります。
川野商店(和傘問屋)
名称
- 武居三省堂(文具店)(たけいさんしょうどう)
- 建築年代
- 1927年(昭和2)
- 旧所在地
- 千代田区神田須田町一丁目
- 解説
-
明治初期に創業した文具店です。当初は書道用品の卸をしていましたが、後に小売店に変わりました。
建物は関東大震災後に建てられた〈看板建築〉で前面がタイル貼りになっていて屋根の形にも特徴があります。
店の前にあった自転車とリヤカー。
小寺醤油店
名称
- 小寺醤油店(こでらしょうゆてん)
- 建築年代
- 1933年(昭和8)
- 旧所在地
- 港区白金五丁目
- 解説
-
大正期から、現在の港区白金で営業していた商店です。味噌や醤油、酒類を売っていました。
庇の下の腕木とその上の桁が特徴の〈出桁造り(だしげたづくり)〉の建物です。
万徳旅館
名称
- 万徳旅館(まんとくりょかん)
- 建築年代
- 江戸時代末期~明治時代初期
- 旧所在地
- 青梅市西分町
- 解説
-
青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館です。建物は創建当初に近い姿に、室内は旅館として営業していた1950年(昭和25)頃の様子を復元しています。
子宝湯
名称
- 子宝湯(こだからゆ)
- 建築年代
- 1929年(昭和4)
- 旧所在地
- 足立区千住元町
- 解説
-
東京の銭湯を代表する建物です。神社仏閣を思わせる大型の唐破風(からはふ)や、玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の折上格天井など贅(ぜい)をつくした造りとなっています。
入口です。
これは番台。昔ながらの番台ですね。
男性脱衣場です。
こちらは女性脱衣場です。
これは男性脱衣場にもありましたが、入浴料金と入浴心得が書かれた額です。
そして女性脱衣場に展示されていた暖簾です。
男性浴場です。
女性浴場です。
仕立屋
名称
- 仕立屋(したてや)
- 建築年代
- 1879年(明治12)
- 旧所在地
- 文京区向丘一丁目
- 解説
-
明治前期に現在の文京区向丘に建てられた〈出桁造り〉の町家です。 内部は大正期の仕立屋の仕事場を再現しています。
鍵屋(居酒屋)
名称
- 鍵屋(居酒屋)(かぎや)[旧武蔵野郷土館収集]
- 建築年代
- 1856年(安政3)
- 旧所在地
- 台東区下谷二丁目
- 解説
-
台東区下谷の言問通りにあった居酒屋です。
震災・戦災をまぬがれた鍵屋は、1856年(安政3)に建てられたと伝えられています。
建物と店内は1970年(昭和45)頃の姿に復元しています。
店内です。呑兵衛はなぜかうれしい![]()
村上精華堂(化粧品屋)
名称
- 村上精華堂(化粧品屋)(むらかみせいかどう)
- 建築年代
- 1928年(昭和3)
- 旧所在地
- 台東区池之端二丁目
- 解説
-
台東区池之端の不忍通りに面して建っていた化粧品屋です。
昭和前期には、化粧用のクリーム・椿油や香水等を作って、卸売りや小売りを行っていました。正面に人造石洗い出しで、イオニア式の柱を表現するなど、当時としてはとてもモダンな造りとなっています。
名称
- 万世橋交番(まんせいばしこうばん)
- 建築年代
- 明治後期(推定)
- 旧所在地
- 千代田区神田須田町一丁目
- 解説
-
デザインや建築様式から明治時代のものと思われます。
正式名称は須田町派出所。神田の万世橋のたもとにあり、レンガ造のため移築の時にはトレーラーでまるごと運びました。
上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部
名称
- 上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部
- 建築年
- 1925年(大正14)
- 旧所在地
- 台東区東上野5丁目
- 解説
-
望楼は近代の火の見櫓です。三脚四層式外廊型で、旧所在地では約23.6mの高さがありました。1970年(昭和45)まで使用されました。
-
-
ここに行ったのは2月なので、松に菰(こも) が巻かれているのは良いとして、何でこんな昆虫が飾られているのだろうと思って写真に撮っています。
どうもお遊びで菰につけた飾り結びのようです。
入口(出口)のビジターセンターで、アンケートを記入しました。ここにも書きましたが、この年(2024年)の春にもう一度来ようと思っていたのに、忙しくなってしまい、2025年の春に小金井公園の桜を見たついでに再訪しました。
江戸東京たてもの園(えどとうきょうたてものえん、Edo-Tokyo Open Air Architectural Museum)は、失われてゆく江戸・東京の歴史的な建物を移築保存し展示する目的で東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館。東京都墨田区横綱にある東京都江戸東京博物館の分館である(この説明文はWikipediaより抜粋)。
という江戸東京たてもの園は、本当に見応えがありますので、小金井公園の散策と併せてぜひ一度訪れてみてください。交通の便も良くて便利ですよ。交通のこと(アクセス)に関しては江戸東京たてもの園のホームページに書いてありますし、僕の前々回の小金井公園花見の記事にも書いていますので参考になさってください。
(取材日:2024. 2. 8 編集・執筆日:2025. 4. 15~16)










































































