
昨年の12月15日(土)から、今年に入った1月31日(木)まで、
日光田母沢御用邸記念公園において、普段は非公開の三階御展望室が期間限定で特別公開されました。最終日の1月31日(木)に見学して来た時の模様を記事にしてみました。
この特別公開は、平成15(2003)年12月に当御用邸が国の重要文化財に指定されたことを記念し、翌年から冬期限定の特別企画として行っています。
内部の写真撮影は当然禁止だと思って、ブログ取材ではなく、個人的興味から行ってみたのですが、特別公開の部分も含めて全て撮影OK、要所要所で丁寧なご案内までいただきまして、とても感動しましたので、ブログにしてみました。
家に帰って調べてみたら、ここを記事にしたブログなどがたくさんあって、一眼レフで構図や光の加減などもきちんと考慮した、とても素晴らしいお写真を載せているものもあります。それと比べて僕の場合は、簡単なスマホによる撮影なので、お見苦しい写真ばかりですが、良ければ最後までご覧くださると幸いです。
田母沢御用邸記念公園は、東照宮の西参道近くから、御用邸通りを進んだ突き当りにあります。

これがその御用邸通りです。向こうが西参道方面、背後すぐの所が田母沢御用邸記念公園です。

東門の前に掲示されていた特別公開のポスターです。

そして園内案内図です。田母沢御用邸記念公園は、栃木県営の都市公園です。日光市では、ほかに
日光だいや川公園も同じ管轄の公園になっています。

こちらが御用邸通り側の東門です。こちらが正門になるのかな。

東門から入るとこんなふうに木々の下を通って、旧御用邸の建物まで歩くことになります。

こちらは国道120号線(沼田街道)に面した北門です。

この辺りは国道120号線が緩やかな坂道になっていて、坂の下が東照宮西参道になります。

国道の向かい側には、公園の駐車場(有料)があります。

こちらはいろは坂方面を見たところです。田母沢御用邸記念公園の前が坂の頂上になっていて、この先には田母沢川の小さな橋梁を渡ります。その橋の西参道寄りの所を右に入ると、寂光滝(じゃっこうのたき)があります。
寂光滝については、当ブログでも記事にしています→
クマの散歩道 Vol. 101 クマ、寂光の滝に行く。 
旧御用邸御車寄せ。
本公園は、世界遺産に登録された日光東照宮をはじめとする二社一寺「日光の社寺」に近接し、北には男体山、女峰山等の日光連山を仰ぎ、南は大谷川の清流を 隔てて鳴蟲山を借景とし、西は寂光の滝を源とする田母沢川を境とし、周辺を杉木立に囲まれた閑静で風光明媚な場所にあります。
日光田母沢御用邸は、日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の三階建て部 分)を移築し、その他の建物は新築される形で、明治32年(1899)に大正天皇(当時 皇太子)のご静養地として造営されました。その後、小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921)に現在の姿となりました。
昭和22年(1947)に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になりました。戦後、博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園として蘇りました。
建物は、江戸時代後期、明治、大正と三時代の建築様式をもつ集合建築群で、現存する明治・大正期の御用邸の中では最大規模のものです。これらの建物や庭園から、当時の建築技術や皇室文化を垣間見ることができます。
平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、平成19年(2007)には「日本の歴史公園100選」に選定されました。四季折々の風情ある庭園と日光田母沢御用邸の100年に及ぶ荘厳な趣きを是非ご堪能ください。
※本公園は、国有地の無償貸付を受けております。
冒頭でリンクも張った田母沢御用邸記念公園のホームページの、施設紹介の項目をコピペしたものです。一番わかりやすく間違いもないので、そのまま掲載させていただきました。



入口で靴を脱いで入場料大人510円(団体20名以上410円)、小中学生250円(団体20名以上200円)を払って、内部に入るとまずは休憩所があって、ここでは御用邸に関する映像が流されています。休憩所は映像が見られる部屋だけでも2部屋、ほかにも部屋があって、いただいたリーフレットの間取り図からは、8部屋続きの間になっているようです。御用邸として使われている時はどんなふうに使われていたのでしょうか。部屋の中には、色々な植物の鉢植えも展示されています。



その奥は展示室になっていて、御用邸の説明がパネル展示されています。僕が子供の頃は、田母沢博物館と呼んでいたように思う(思い違いかも)のですが、それだけに歴史ある立派な博物館といえます。

謁見所(※1)のテーブルに掛けられていた西陣織のテ-ブル掛けで、金と朱を七宝つなぎ(※2)にした柄が織り出されています。
※1 謁見所(えっけんじょ)・・・天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋のこと(あとで写真があります)。
※2 七宝つなぎ・・・同じ大きさの円を4分の1ずつ重ねていく、又は重ねて繋いでいく文様を七宝・七宝つなぎ文様といいます。七宝の円形は円満を表すことから、縁起の良い吉祥文様として扱われます → 参考資料
きもの事典 和の文様~七宝・七宝つなぎ~より。

襖絵。田母沢御用邸の襖絵や杉戸絵は江戸中屋敷にあったもので、140年前に描かれたものも多いそうです。

表御食堂(おもておしょくどう)。
賓客や臣下などに食事をふるまうなど饗宴に使用された部屋です。床は欅(けやき)の柾目寄木張りになっており、「匠の技」が活きており、90年以上経った現在でも全くの狂いがないそうです。

御玉突所(おたまつきじょ)。
諸外国の賓客と交遊のために行われたビリヤード場です。

広縁。
畳張りになっています。珍しいですよね。でも生活染みた身からすると、すぐ日に焼けそう(笑)。

謁見所。天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋のことで、御用邸の中でも最も重要なお部屋です。こちらにいらっしゃった専属のご案内の方が「謁見所を見られるのも、田母沢御用邸以外なかなかありません」とご案内してくださいました。

謁見所近くから見たお庭の様子。きっとここから見る庭の景色が一番なのかもしれませんね。花のある季節にまた来てみたくなります。


御厠(おかわや)。
これはおわかりの通り、トイレのことです。陛下もお使いになったのでしょうね。


御学問所(ごがくもんじょ)。現地では特に説明書きなどはありませんでしたが、陛下がちょっと調べものや書き物をなさる書斎のようなものと考えれば良いのでしょうか。上の写真は床の間の梅の水墨画です。
丸窓から庭園の様子を見ることが出来ます。今回、写真に収めてなかったので、この写真は
旅.フォトというサイトからお借りしています。季節が秋ですね。

見学ルートは1階から2階に上がります。


通常は2階までしか公開されていませんが、特別公開で3階に上がらせていただきました。昔ながらの階段なので、狭くて急な造りになっています。


3階は御展望室(おてんぼうしつ)になっていて、お庭の景色が最高でした。花のある季節だともっと素敵かな。
御用邸を庭園側から見たところ。真ん中の一番上にあるのが、三階展望室。この写真は、公益財団法人栃木県民公園福祉協会のサイトの中からお借りしたものです。

御展望所は数寄屋造り(茶室ふうの様式で造られたもの)で、床の間と違い棚も凝った造りになっています。

天井は桟に朱潤塗り(※3)と白竹の竹縁を交互に配した杉杢板で、長押はありません。天井板には杉の木目がはっきり出ていて、きれいでした。
※3 朱潤塗(しゅうるみぬり)・・・朱を基調に茶を混ぜて濁りを持たせた塗りのこと。


床の間の畳縁には、お部屋の畳縁とは違う、小紋縁(しょうもんべり)という格式の高いものが使われているそうです。一方のお部屋のほうの畳縁は、中紋縁(ちゅうもんべり)というそうです。三階御展望所公開に当たっては、こちらにも専門の案内の係の方がいて、とても丁寧に説明いただきました。


違い棚。菊の御紋も刻印されています。

御展望所北側の窓を開けて御用邸の屋根を見てみました。屋根を葺き替えて20年になるそうですが、まだ緑青(ろくしょう)が少ししか出ていないそうです(先出のご案内の方より)。

西側の窓からは、枝垂れ桜とその向こうに元小林別邸の皇后宮(後述します)の屋根が見えています。この建物の3階は、皇后御学問所がありますが、ここも非公開のエリアで、3階の御展望室が特別公開されていたこの日も、公開はされていませんでした。

枝垂れ桜をズームしてみました。やはりこの花が咲く時季にもう一度見てみたいものです。でも、その時季に公開したらたくさんのお客様でゆっくりと見られないかな。文化財保護の観点からは混雑する時季は避けたほうが懸命ですね。

2階に戻りました。ここからは通常でも公開されている部分です。
ここは御寝室(ごしんしつ)です。天皇陛下の御寝室として使われた部屋で、床は防火や湿気対策のために、桐の二重床になっているそうです。またこのお部屋には照明がなく、燭台が使われていたそうです。

天井近くの束には、蚊帳(かや)を吊った金具も残されています。

御寝室近くにある杉戸絵で、陵王(※4)と名付けられているものです。
※4 陵王(りょうおう)・・・中国の南北朝時代の一王朝である北斉(ほくせい)の蘭陵王 高長恭(らんりょうおう こうちょうきょう)という皇族が、その美貌を隠すため仮面をつけて戦いにのぞんだという故事に由来する絵柄です。

御用邸のお部屋は、次の間がある2間続きのお部屋が多いのですが、ここ御寝室にも御次の間(おつぎのま)があります。

ここは御寝室の外側にある、劔璽の間(けんじのま)です。
皇位の御印である、鏡、剣、勾玉(まがたま)の「三種の神器」のうち、剣と勾玉を奉安(尊いものを安置してたてまつること)した場所です。大正天皇は、長期に渡って御滞在されたのでこの間が設けられたそうです。

劔璽の間にある杉戸絵で白梅(正式名称を記録し忘れました)です。引き手は皇室の十六弁八重表菊紋。

御日拝所(ごにっぱいじょ)。
皇居のほうを向いており、陛下が日々ご先祖様を遙拝(遠い地から拝むこと)したお部屋です。こちらも3階をご案内いただいた案内の方にご説明いただきました。

杉戸絵、岩二波舞鶴(いわになみまいづる)。

御座所(ござしょ)と御次の間。
天皇陛下が日常的な公務をお執りになったお部屋です。

杉戸絵、月二梅(つきにうめ)。

中庭。

杉戸絵、白梅二鶏(はくばいにとり)。

こちらは、御食堂(おしょくどう)
天皇、皇后両陛下が日常、食事をされた場所です。

こちらはお化粧(おけしょう)というお部屋。読んで字のごとく、お化粧をする部屋なのでしょうね。この場合のお化粧とは、紅、白粉を塗るだけでなく、着付けなどもする広義のお化粧ということなのでしょうね。

こちらはお召替所(おめしかえじょ)です。こちらもそのままで、今でいうなら脱衣所といったところでしょうか。奥に見えるのが御湯殿(おゆどの)です。

御湯殿をズームアップしてみたものです。浴槽のない掛け湯式の浴室で、皇室では伝統的な浴室形式なのだそうです。今の皇室も浴槽がないのかな?
外に見えるコンクリート製の貯湯槽に、調理場の西側にあった汽缶室から、床下に給湯管を通して引湯していたそうです。木製の床には、排水のために勾配がつけられていました。

貯湯槽をズームアップしてみたもの。

こちらは高等女官詰所です。皇后陛下付けの高等女官が詰めていたお部屋ですね。

1月19日(土)~2月11日(火)までは、皇后御座所(こうごうござしょ)で十二単(じゅうにひとえ)の特別展示も、併せて開催されていました。

十二単。重さは15kg近くあったというから大変ですよね。お部屋は皇后陛下の御寝室です。十二単は借り物で、通常から田母沢御用邸で管理されているというわけではないとのことです。

こちらは公家の衣装です。
こちらのお部屋は皇后御座所です。皇后陛下が日常の公務を執っておられたお部屋です。こちらの部屋がある皇后宮は、元々日光出身の銀行家、小林年保(こばやし ねんぽ)氏の別邸だった建物です。

説明が書かれた木札(看板)。

独特の履物。ここにも専門の案内人(この日は女性の方)がいて、案内してくださいました。案内人の方は、栃木県の文化財課の方たちなのかな。県営公園だから、市役所の方ではないですよね。


呉服棚(ごふくだな)
棚というよりウォークインクローゼットですね(笑)。上の写真は、呉服棚で使われている、かなりおしゃれな照明です。

御湯殿(おゆどの)。こちらも掛け湯式の浴室です。

厠、いわゆるトイレもついていたようです。天皇陛下の御厠と比べると小振りで、機能的には、大きな体裁のよいユニットバスみたいですね(笑)。

トイレの手前のこの水栓は、浴槽ではなくて、今でいえばシャワートイレの役目を果たしたのかな?


高等女官部屋。先に見た高等女官詰所は、皇后陛下が執務中に、高等女官が詰めていた部屋なのに対して、こちらは高等女官の寝室になるのでしょう。
このあとは、休憩所を併設した売店があって、田母沢御用邸オリジナルのおみやげ品などが販売されていますので、そちらで品定めするのも面白いでしょう。

更に出口に出るまでの間に、資料室があって、日光市内の各施設のリーフレットや平成天皇、明仁陛下と美智子皇后陛下御行幸のお写真、大正天皇の幼少期のお写真が展示されています。
また僕が行った日、行った時間にちょうど飾りつけが終えたという、「四季の日光」という絵画展も開かれていました。3階特別公開、十二単の特別展示に、この絵画展も見られたのでとても得した気分です。天皇陛下御行幸のお写真や絵画は、一部のみ掲載しました。
以上、取材不備により、推定で書いている文章や、ほかのサイトから写真をお借りしたりと、不完全で申し訳ございませんが、田母御用邸、かなり広くて見応えがありました。地元だとどうしても訪問する機会がなかなかなくて、僕の場合はまだ東京に暮らしている時に、仕事で来たとき以来です。でも、今回訪問してみて、その素晴らしさに痛く感動しました。
特別公開の3階御展望室ももちろんですが、通常一般公開されている2階までのお部屋の数々を見るだけでも、とても見応えがありますから、皆様もぜひご見学ください。
3階御展望室は、年末から翌年1月一杯の期間で毎年公開されていますから、冬の日光へもぜひ。十二単が公開されていた、皇后御座所にいらっしゃた案内人の女性曰く、十二単の公開もまたあるとのことです。もし僕が情報をつかんだら、ここにブレイキングニュースの項目でアップしますけど、田母沢御用邸記念公園のホームページも参考にしてください。
田母沢御用邸記念公園
日光市本町8-27
0288-53-6767
※住所からナビ設定をする場合の注意 日光市には「本町」という住所地と、「今市本町(いまいちほんちょう)」という住所地がありますから、お間違えないように。元々、旧日光市にも旧今市市にも「本町」という住所地があって、合併に当たって今市のほうは、その名を頭に冠したことからこんな住居表示になりました。今市本町は、日光市役所本庁舎(旧今市市役所)がある場所で、ここ田母沢御用邸記念公園や東照宮などのある場所からは、10km以上の距離があります。
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