第24場 1980年4月1日 アメリカ山岳部時間(MST Mountain Standad Time GMT-7)8時45分 ロッキー山脈地下基地司令部支所~秘密時空保安局局長室
夢の中の創作物のような1980年3月31日のウォーレン・マクレーン事務官の結婚式と二次会のあとは一旦1993年に睡眠を取るためだけに戻った。もうこの年代で大佐として執務するつもりはなかったので居室の扉に゛只今就寝中、ウォーレン・マクレーン事務官結婚おめでとう、起こさないでくれ、理由はわかるだろう、単なる二日酔いだ。゛と書いた紙を貼っておいた。起こしに来る人物は決まっているが本当の理由は部外者の目もあるので書くわけにはいかない。聡明な彼なら意味はわかるはず。たぶん3日ぐらい寝たと思うが何日寝ようが他の年代に行っていようが容易に1980年に戻れるので気は楽だった。繋ぎでも仮でも一応正式に1980年4月1日付けで秘密時空保安局局長に就任するのだから。
1980年4月1日8時45分、局長室にはロジャー・ウィリアムズ事務長、ダグラス・ホワイト副局長の他、秘書のメアリー・ステュアートと他三人の男性事務官がわたしの入室を待ち構えていた。正直小っ恥ずかしかったが悟られてはいけない、威厳を持ったふりをして「やぁ、諸君、よろしく頼む。」と短めに就任の挨拶を終え、後は事務局長に局長の席の前に蒼然と並ぶ機械類の大まかな説明を受け、細かいことは三人の男性事務官が交代で実際に操作をしてみせてくれた。
それよりも重要なこと、それは局長だけが操作して読める情報、特に未来のこと。もちろんこれらの操作の仕方は事務長から教えてもらい、マニュアルとして文書でもわかりやすくひとりで扱えるように記述してもらった。パスワードを厳重管理するように釘を刺された後、事務長以下すべての人間が3メートル以上離れた位置に移動し、通常業務をはじめた。
さてとバーテンダー時代のアレをパスワードにしておけば忘れないし、他人には理解できないことなので適切なものだろう。
秘密時空保安局局員のすべての情報が目の前の機械からいつでも取り出すことができる。常に機械のモニターに張り付いて観察している必要はない。何人もいる職員が手分けしてその任に当たっていて定時報告についてはきちっとファイリングして見やすくしてもらたものを時間に余裕があるときに目を通せばいいのだ。重要度が高い報告が届いた場合や緊急事態が発生した場合は就寝中でも叩き起され、指示を出さなければいけない。ただ、そうそう叩きおこしには行きませんよとは言われたが、責任の重いポジションであることには違いない。局長の仕事としては局長室で書類の束に目を通し、サインをすること。そして外部とのコンタクト・・・会議とか園遊会とか舞踏会とかゴルフとかどこで重要な事項が伝達されるかわからないのでひたすら出席し続けなければならない。内勤の一般的な仕事に関しては事務長が基本的なことは指示を出して進めさせているので局長としては重要な事項が発生した際に的確な指示を与えればいいだけだ。
一時間、局長の特権としての未来覗きをしてみた。適当な年代のとある日にちを指定して、どういうことがあったのか、ニュースの見出しが続々と出てくる。油田爆発とか干ばつや洪水などの自然災害、戦争勃発など重大事件の他にたわいもない日常の細かい事例まで出てくる。芸能人だかなんだかわからない有名な人物と思われるゴシップネタもぞろぞろ飽きるほど出てくる。未来の大事故を未然に防ぐ手立てを講じた方がいいのか、山のようにある事件、事故のすべてをときを操って解決することはできない。ごく一部の、それも通常は上層部の命令によって特定の事例をピックアップして問題解決にあたる。
こんなことをしている場合ではない。今いる年代はわたしの局長としてのスタートラインの1980年だが、執務は別の年代でしたいのだ。1993年ではない。もう少し先の2015年あたりで仕事をしたい。先代のティモシー・カーマイケル局長は大半を1992年で過ごし、時空軸飛翔推進変容機の改良に務め大きな功績を残した。わたしは繋ぎ局長なのでそうそう悠長なことはしていられない。現在与えられている問題の中の最重要課題、アーノルド・ロッドマン氏についての基礎調査をまず終わらして、適切な分岐点を見つけること。一気に2015年まで時代を飛ばして手早く処理したいのだ。わからないことはすべて事務長に聞けばいい。ロジャー・ウィリアムズ事務長に今後は2015年代で執務したい旨を告げたところこういう返事が戻ってきてた。
「その年代はもうわたしは事務長ではないので2015年の事務長と連絡を取り、局長が執務できる環境を整えますので少々お時間をいただきます。一週間後ならなんとかなると思いますのでそれまではこの1980年の影の薄い事務長の下で執務していただくようお願いします。また、2015年で執務されるようになっても会議等への出席はこの1980年ですので時折顔を合わせることもありますので引き続きよろしくお願いします。」