元々、言葉、文章を構成するのに興味があった。
子供の頃の作文も、書いては読み直して納得いくまで、消してまた書いての繰り返しだったので、
始めに別の紙に書きたいことを羅列させてから、合うものを選んで組み立てていくようにしていた。
お父さんがギターを弾くので、実家には、たくさん歌の本があって、
ヒットした曲からマイナーな曲まで、歌詞を読むのが好きだった。
子供ながらに、「ふむふむ良い言葉だなぁ」なんて、思ったりして。
それが影響か知らないけど、中学生の頃、こっそりと作詞の通信講座をやっていた事がある。
始めは綺麗なフレーズばかり並べて、今思えば真実味のないものばかり書いていたけど、
それじゃ佳作にも入らなくて、
ネタにも困ってきた頃、そうだ、と思って、
本当にあったばかりの出来事を書いて送った。
そうしたら、初めて、月一でくる会報に掲載された。
それがほんと嬉しくて、ようやく気付いた。
人のふとした仕草には、必ず感情がある。
それを描写することは、セリフよりも強い。
つまり、「悲しい」と言葉で言うより、悲しい、のだ。
あとは聞き手の想像に委ねることがとても大事で、粋なことだと思う。
けれどそうさせるには、ある程度の道筋を考えられるように書かなくては、なかなか上手く伝わらない。
そう、伝えたいことを書くのでなくて、想像させたいことを書く。
あまりに支離滅裂だと、想像の余地がなく(聞き手が意味ないものだと理解して考えるのをやめてしまうため)、
あまりに具体的だと感動を共有する人が減る(当たればデカい)。
歌詞って、とても際どいもので、難しい。
自分で書いて歌うだけなら問題なかったけど、
今こうしてVERONICA VERONICOというバンドのボーカルをやってる以上、
さらにさらに歌詞のテーマや構成に神経を注ぐ。
その言葉の発音とメロがちゃんと合っていないとなんかダサくなる。
語呂を合わせるのに四苦八苦。
でも、こんな事言っておきながら、その曲がCDになって、その歌詞カードを見ない限りは、
なかなかバンドライブだけじゃ、その言葉の全部なんか伝わらないのは知っている。
まわりまわって、何となく響きがカッコ良ければそれでいいんじゃないか?
と、思う。
・・・・・けど、その1曲を何度も何度もライブで聴いて、
やっと音源化されて、また聴いて、
少し飽きた頃、
またふっと思い出して、
CDを探して、改めて歌詞を読んだとき、
「あ・・・・こんな、意味だったんだ」
と、じんわりきてくれたらいいな、なんて、
ささやかな思い。
それは、誰もが一回は経験したことあること、
もう一回聴き直したとき、改めて感動したあの一曲。
そんな曲にしたい、と思いながら、
いつもいつも、わたしはVERONICAの歌の文字を組み立てています。