宇宙開発と聖書の終末論に一体どんな関係があると言うのか?そんなのまったく関係ないだろ!
「いや、これが意外と関係があるんじゃないか」というのが私の自論なのです。と言いましても、あくまで私が思い付いたというだけのお話であって、真に受ける必要などありません。「月刊ムー」を読むような気持ちで、楽しんでいただければと思います。
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今、宇宙開発・宇宙ビジネスが世界を巻き込む巨大なムーブメントになっています。あらゆる科学技術産業が宇宙開発・宇宙ビジネスに接続されるのではないかと感じるぐらいの、舌を巻くスケールと凄まじい勢い。市場規模もバカでかい。人工衛星、惑星探査機、宇宙ステーション、それらを宇宙空間に輸送するためのロケットが続々と開発されています。月面に基地・拠点・居住空間を建設するばかりでなく、それを足掛かりに本気で火星を目指しています。宇宙を舞台に、科学技術の革新、激烈な国際競争が始まっています。宇宙空間、月面、火星という地球以外の天体で人生を過ごすという時代がいよいよ近づいているというわけです。本当にワクワクするような時代です。
しかし、ちょっと待ってください。確かに新時代の幕開けを予感させますが、聖書の終末論的にはちょっと困ったことになりませんか?
聖書の終末預言によると、イエス・キリストは“地上”に再臨されるわけですよね?最終戦争、ハルマゲドンも“地上”で勃発する。月面や火星ではない。月面や火星で安楽に過ごす人類にとって、地上におけるイエス・キリストの再臨やハルマゲドンは一体なんの意味があるんでしょうか。
結論から言いましょう。人類が月面、火星、宇宙空間で生活を全うする時代が到来する前のどこかのタイミングで、ハルマゲドン、キリストの再臨、世界の終末が訪れる!
どうしてそう言えるのか、具体的に聖書から読み解いてみることにしましょう。
まず、聖書の最初の書、創世記を開いてみる。そこには数々の伝説に彩られた世界が広がっていますよね。その中の一つ、バベルの塔のくだりは極めて刺激的なエピソードです。バベルの塔は一体どんな目的で建設されたのか、ご存知ですか?西暦1世紀のユダヤ人歴史家フラビウス・ヨセフスが書き下ろした「ユダヤ古代誌」という文書があります。世界で最も読まれている書物は聖書である、では、世界で2番目に読まれている書物は何か?それがヨセフスの「ユダヤ古代誌」なのです。興味深いことに、この「ユダヤ古代誌」、そして小創世記とも評されるヨベル書にはバベルの塔の建設のいきさつとその結末について詳しく言及しています。
ニムロデとその一派はどうしてバベルの塔という威容を誇る巨大建造物の建設を思い立ったのでしょうか。当時、人類の言語はたった一つに統一されており、全地を覆す未曾有の大洪水という神罰によって義人ノアとその家族以外の地上生物は全て絶滅した、そんな大洪水の記憶がまだ生々しく残っていた時代です。鉄面皮のニムロデは次のように考えたという。ようするに「天の頂に到達する巨大建造物を作り、人々がそこに逃げ込めば、たとえ大洪水が起ころうともその神罰を免れることができる!」と。つまり、バベルの塔の建設というのは高度な技術的手段で神罰から逃れようという、神に兆戦する思い上がった人間の企てだったのです。そんな人間たちによる狡猾でふとどきな野心がとうとう神の逆鱗に触れ、神に対抗する企ての象徴たるバベルの塔を神自ら破壊するに至ったというわけです。
さて、このバベルの塔のお話を単なる古代伝説の一つとして片づけてしまうことができるでしょうか?果たして現代の私たちには何も関係ないエピソードなのでしょうか?
バベルの塔の「バベル」、これはヘブライ語。ギリシャ語では「バビロン」という。聖書の最初の書「創世記」でバベル(バビロン)の塔が倒壊、そして聖書の巻末の書「黙示録」でも世界の終末期に大いなるバビロンが倒壊するという宿命。聖書の初めと終わりがバビロンの倒壊という共通点を持っているというは単なる偶然なのでしょうか!?終末期にいると言われる私たちにとって本当に無関係だと言えるのでしょうか!?
それじゃあ、現代のバベルの塔とは!?天の頂に到達する巨大建造物とは一体なんだと言うのです!?
それは間違いなく史上空前の巨大宇宙ロケットだ!事実、ロケットは宇宙空間という天の世界に到達することができるではないか!その上、古代バベルの塔の時代に人類の言語が一つに統一されていたのと同じように、現代では英語という国際共通語で世界が統一されようとしている!古代バベルの塔の建設を取り巻く状況とますます酷似しつつある!
いいですか、聖書では世界の最終戦争、ハルマゲドンは一体どこで勃発すると教えていますか?イエス・キリストはどこに再臨されると教えていますか?月面ですか?火星ですか?NO!私たちの地球です!この地上です!月面でもなく、火星でもなく、宇宙空間でもなく、あくまで地上なんです。聖書預言の記述はそれをはっきりと示している。そもそも、月面、火星、宇宙空間といった地球以外の天体で安楽な生活を享受している人たちにとって、ハルマゲドンが地上で勃発しようが、キリストが地上に再臨されようが、一体何の関係があるのか、それらはよその天体の出来事であって彼らには何の痛痒もない。「その日」には“地上にいる”全人類に審判が下されるんですよ。だから論理的には、宇宙開発が極端に進歩して人類の多くが月面、火星、宇宙空間で生活を全うする時代が到来する前のどこかのタイミングで、ハルマゲドン、キリストの再臨、世界の終末が訪れなければならない!
西洋人は生まれた時からキリスト教の文化・歴史・習慣の中で呼吸をしている。したがって普段は無自覚でも、戦慄のハルマゲドンという聖書の終末論が潜在意識下にしっかりと浸透している。地球を飛び出し宇宙空間や他の天体に移住しようという試みは、地上で勃発するハルマゲドンの神罰を回避する人間の企てという性質そのもの。これはまさに古代バベルの塔と全く同じ構図だ。宇宙への夢とロマンを強調するのはカムフラージュにすぎない。そんな神への兆戦となる企みを神がご覧になってどう思われるでしょうか。決して快く思うはずがない。創世記の古代バベルの塔と同じように、いづれ神の逆鱗に触れ、その時こそ世界の終末のカウントダウンが始まるに違いない!黙示録にあるバビロン(バベル)は倒壊する!
というわけで、聖書の終末論と現実世界の相互関係を論理的に突き詰めて考えると、宇宙開発が進めば進むほど、逆に世界の終末が近づいてくる。世界の終末が早く来てほしいと願うのであれば、もっと宇宙開発を応援したほうが良いですよ。もちろん私は応援していますけどね!
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如何でしたか?面白かったですか(笑)?こんなお話を、近所にお住まいの教団幹部にお誘いいただいた夕食会の席でぶち上げたことがあるんですよね。ウケましたね(笑)。よくこんなストーリーを思い付いたなと自分でも感心しています。頭の中に散らかっている知識・情報が、バーっと連鎖的に結びついていった、そんな感覚です。人によっては、こういう現象を「ひらめき」と呼ぶのかもしれません。なかなか面白い体験でした。
何を申し上げたいのかと言いますと、聖書をいろんな角度から読んでみると実に面白い意外な発見があるということ。私はこれまで宇宙や物理を武器に生きてきたわけですが、それぞれ自分の得意分野や興味のあるテーマを持っていますよね、医療、福祉、心理、政治、経済、文化、伝統、歴史、などなど興味関心のポイントは他にもたくさんあると思います。そういう自分の得意分野・好きなテーマを切り口に聖書を読んでみると、他人には無いとてもユニークな視点で聖書の面白さや感動を引き出せることがあります。さらに、そういう話を楽しんでくれるような気の合う友人が身近に数人いるだけで、日常生活の充実度が全く違ってくるんじゃないかと思います。