これは私がまだ大学に通っていたころのエピソードなので、もうだいぶ古いお話です。当時、同じ教団にいた若手中間管理職と2人でファミリーレストランに食事に行ったときのことです。そのとき、「教理をコロコロと変えるような教団トップに盲目的に従っていくのは危険ではないか」、そんな話を持ち掛けたんですよね。するとその若手中間管理職はサーっとおびえた表情になり、そんな話は聞きたくない、と断ってその瞬間に食事会は突然終了することになってしまったのです。その一件が教団幹部の耳に届いたのでしょう。後日、さっそく集会所で教団幹部が神妙な顔つきで近づいてきて、日を改めて話し合いの場を設ける、ということになりました。私は輸血拒否の教理の矛盾について意見をまとめてぶつけてみよう思っていたところでしたから、ちょうど良いというぐらいに考えていました。
場所はいつもの集会所、その第二会場、時間は夜の集会プログラムの終了後でした。会場には教団幹部、そして先に登場した若手中間管理職が秘書的な立場で同席しました。私は、血液成分、血液分画、受け入れることができるもの、できないもの、教団の教理と根拠に利用している科学的事実、それらについてつじつまが合わない点、矛盾点を次々と率直にぶつけ、説明を求めました。しかし教団幹部は何も答えられない、説明もできない。要領を得ない回答をするばかりで、その回答の非論理性についても意見していきました。そうしたら教団幹部はみるみる血相を変えて怒り出すんです。私が冷静に教団の過去の出版物にはコレコレと書いていますよね、と指摘すると、教団幹部にとってそれは都合の悪い情報だったらしく、ライブラリーを検索しようとする若手中間管理職を「調べなくていい!!」と恫喝。若手中間管理職も動揺を隠せない。挙句の果てに、輸血拒否の教理とは無関係の話を持ち出して私をののしり始め、大声でわめく、怒鳴り散らす。話し合いという名からはほど遠い会合でした。ガラス張りの第二会場は防音効果など無かったので、わめき声は本会場に筒抜け状態で、集会所にまだ残っていた信者たちに丸聞こえ。自分から話し合いをしたいと言っておきながら、自ら話し合いの場をブチ壊すという暴挙ですから、本当に話にならない。一応話し合い(という名の幼稚園)を終えて、本会場に移動してきたときは会場全体が水を打ったように静まり返っていました。さすがに教団幹部も自分のやらかした愚行に「しまった・・・」と思ったらしく、苦々しい顔がさらに引きつっていました。本当に無礼で幼稚な幹部たちでした。
冷静さを欠いてわめき散らし一方的に中傷する、これは話し合いなんかではない。心理的なショックもありましたし、そういう経緯を含め意義のある話し合いと力添えを求めて各地を巡回する教団幹部に相談を持ち掛けようとしました。それに対して巡回する教団幹部のお返事は「私に聞かない方が良い」というたった一言だけの極めて冷たいものでした。おそらく先の話し合いの一件がいろんな尾ひれを付けて巡回する教団幹部に伝えられていたのでしょう。自分にとって都合が悪いと、怒り出す、怒鳴り散らす、はぐらかす。これは非常に不誠実な態度だと思います。教団の教えが抱えている矛盾、つじつまが合わない事実に向き合わず、何も説明もできないのに教団に服従することを要求する、他人の生活に無責任に介入するというのは一体どういう了見でしょうか。本当に不愉快な体験でした。
今となってはですが、また別の見方を私はしているんですよね。教団の信者たちは、自分たちが必死でしがみついている教団の教えには実ははっきりとした根拠があるわけではないということに薄々気が付いているのではないか、矛盾をかかえているということもぼんやりと分かっているのではないか。それを認めたくないがために、強く思い込む、表面的には気付かないふりをする、触れられないようにしっかりとフタをする。それなのに、私みたいな人間の手によって自分が触れられたくないと思っていることを、目の前で、しかも公然と暴き出されていくわけですから、それは動揺しますよね。自我が根底からガラガラと崩れ落ちていくような感覚、これは恐怖でしかない。病的なまでの恐怖だ。そんな恐怖を与える相手に対して過剰防衛が働いた、概ねそんなところではないかと推察しています。表面的には教団にくっついて行く(ように見える)信者たちであっても、具体的に言語化できていないだけで「何かおかしい・・・」と感じている人たちの数は決して少なくない、私はそんなふうに観察しています。