私が教団の現役信者として活動していたころ、野外での伝道活動がとても苦手でした。聖書を話題にするのは決して悪い気はしなかったのですが、教団が語るところの伝道とは教団独特のプロパガンダのお先棒をかついでいるだけのようで、どうにも釈然しなかったのでした。子ども頃は一応まわりの教団責任者の指導に従っていましたが、納得していない教理の数々をさも信じいるかのように振る舞うことに偽善的な気分が無いわけでもなく、また、口では聖書の真理を伝えていると言いながら、結局は1914年、輸血拒否など聖書を致命的に曲解した教えを垂れ流す教団に恭順する構成員を製造しようとしている、そういう現実をうすうす感じとっているわけですから、やる気も起きないのは当然でしょう。子どもの頃から教団に関わっていたとは言え、成人してからも宗教観の相違から教団内で度重なる摩擦や衝突に悩まされてきた関係上、自分にとってストレスの多いコミュニティに人を勧誘することの価値を見出すことができなかったわけです。
当時は承服しがたい教理に結びつく伝道活動に穏やかでない感情を抱えていましたが、幸いなことに今はそういう煩わしさがなくなったおかげで、すがすがしい気持ちで聖書について言及できるようになり、私自身のメンタルにとってとても大きな前進だと感じています(もちろんTPOを考え、見境なしに表明することはありません)。そんな自分が最近聖書の話題を取り上げることになった面白い体験をしたので、ここでかいつまんでご紹介しようと思います。
先日、物理学の大規模な会合に参加したときのことです。一口に物理学と言ってもいろいろな分野がありますよね。その会合では、高温超電導、先進的半導体、原子を操作できる特殊な顕微鏡など、物性物理に関わりのある研究分野の専門家が所せましと集まり最先端の研究成果のお話を披露していました。その中で「モーゼ効果」という、名称からして他人事とは思えない物理現象を扱う研究グループがあり、これは無視できないと思った私は早速そのグループの関係者から直接詳しい説明を聞こうと会場に向かったのでした。
会場では研究者たちが巨大な実験装置を操作しながら研究背景を熱心に説明しています。その実験装置は、円筒状の構造(ちくわを水平にしたような構造)をしており、超電導マグネットにより円筒内部に極めて強い磁場を発生させることができるとのこと。起動している実験装置周辺から不気味なノイズが聞こえてくる。不用意に近づかないほうが賢明でしょう。そうしているうちに研究者が水を満たした半透明の容器を取り出し、超電導マグネットの内部にゆっくりと移動させていきました。
物理の研究者:「水という物質は反磁性体である。したがって外部から磁場をかけられるとそれに反発しようとする力が働く。超電導マグネットのように極めて強い磁場を水に与えるとどうなるか、ぜひその目で確かめていただきたい!」
水の入った容器が円筒形の超電導マグネットの内部にゆっくりと移動していく。その様子をじっくり観察していると・・・、なんと容器の水面が凹んでいく! 容器の中央部で水が完全に分かれていく! 「うわっー!」と、もうびっくりしてしまいました。
物理の研究者:「旧約聖書にあるモーゼが海を真っ二つに分けたという伝説にちなんで、この現象を“モーゼ効果”と言う!」
いやいや恐れ入りました。実験会場でどよめきが起きたことは言うまでもありません。その現象を旧約聖書の伝説に結びつける発想にも微笑ましく感じました。“モーゼ効果”なるネーミングをした人物はキリスト教信者だったのではと想像してしまいましたね。非日常的な現象がマクロに出現するだけでも驚嘆ですが、それが物理法則に基づいて説明できるということにも感心します。
物理の研究者:「えーそれでは皆さん、何かご質問はありますか?」
一連の物理実験と解説の終了後、そのように促された私はここぞとばかりにツッコミを入れていました。
私:「驚異的な現象ですね!、“モーゼ効果”、初めて見ました。しかし旧約聖書の出エジプト記によるとモーゼが海を渡る場面では、まっぷたつに分かれた海の水は両側で絶壁になっていたという描写ですよ? この実験では容器の水は外側から中央部に向かって緩やかに凹んでいるだけで水が絶壁にはなっていないですよね? これで“モーゼ効果”と名付けるのは如何なものでしょうか?」
物理の研究者:「いやそれは・・・(苦笑)」
きっと物理の専門的な質問に答えようと待ち構えていたのだと思います。そこに物理現象のネーミングが聖書記述と辻褄が合わないという変化球が来るものですから研究者もちょっと困惑した表情を浮かべていました。その後も意見交換は続き、ネーミングの発案者、その関係者による研究内容など親切に話題を提供していただきました。一方、私のほうは聖書の正確な知識を伝えることができたことに満足していたのでした(笑)。興味深い物理現象を観察し、思いがけないところで聖書と接点が生まれたばかりでなく、福音書にある世界大宣教命令の一端を自分に合った方法で実践したような気分で、うまく説明できない爽快な幸福感に包まれていました。まあこれで良いのではないかと。え? ダメですか???