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 大学1年生のときの数学の講義を覚えている人は世の中にどれくらいいるでしょうか。とっくに忘れたという人がほとんどだと思います。しかし、「エプシロン・デルタ論法」と言われると、「あーあれか」と記憶が蘇る、身に覚えがあるという人が多少いるのではないでしょうか。あの論法には面食らったという人も少なくないと思います。高校までに習った数学と違って異様に理屈っぽくて、独特で、とっつきにくい。そのギャップに戸惑った人も多かったと思います。しかし物理学では数学を道具としてフル活用するので、数学をしっかり修得することが物理学の理解を深め究める絶対的な必須要件となっているのです。それで私も四の五の言わず四苦八苦しながら勉強し、理解できるまで懸命に格闘しました。


 というわけで、今日は大学で初めて数学の講義を受講したときの興味深いエピソードの一つを振り返ってみたいと思います。


 春爛漫の中挙行された入学式を終えて、大学での本格的な勉強がいよいよ始まります。手元のシラバスを眺めながら講義内容をチェックする。胸が高鳴る。今でこそ、大学教員が高校に出前授業を行なったり、高校生が大学を訪問したり、高校と大学の相互交流が活発で大学の勉強の先取りを体験できるようになってきましたが、私が高校生の頃はそんな制度に恵まれることはなく、大学の教授先生が行なう講義なるものが一体どういうものなのか予測できない。楽しみと不安が交差する、そんな心境でした。※入学式でのカルチャーショックについては以前の記事を参照のこと(20240731-大学入学時のカルチャーショック)


 そんな初々しい気持ちで臨んだ初めての大学の数学の講義です。教室に現われたのは少し小柄な数学教授で実に専門家然とした佇まい。講義が始まりますと、専門用語を流ちょうに操り数学記号を巧みに駆使ながら板書していきます。手元に台本があるわけでもないのに、格調高くよどみ無く解説し続けられる姿にとても感心しました。


 「・・・この世界には数というものが存在する。無理数なるものを定義するためには有理数というものを定義しなければならない。有理数なるものを定義するためには整数というものを定義しなければならない。整数というものを定義するためには自然数というものを定義しなければならない。こうやってドンドンさかのぼる。そして自然数を定義するためには、これはもう数字の無い世界ですから、論理などで定義するしかない。さらにドンドコドンドコさかのぼっていくとやがて哲学となり、こうしてついに辿り着くところが、コレ」と言って黒板に白いチョークで一文字の漢字をカツカツと書き始める。それは・・・


『神』


私:「(マジか・・・)」


 アイザック・ニュートンの時代ならともかく、現代の高等教育では神は不在、もしくは神の存在そのものに否定的だとずっと思っていました。それがのっけから「神」が登場する。椅子から転げ落ちそうになるぐらいびっくりした気持ちが分かるでしょうか。大学の、理工系の、数学ですよ? 当時の自分にはこういう展開を全く予想できなかったんです。非常に衝撃でした。ここで言っている神の概念は宗教の神のことではないと断わりを差し込んでいましたが、それを割り引いたとしても衝撃波が自分の体を突き抜けるようでした。その数学教授には個人的にも課題演習時間の合間や講義後に相対論だとか物理と数学の関係とか興味深いお話しをたくさん聞かせていただきました。「これが大学の数学かー、スゴイな!」。


 余程うれしかった私は、自分が大学の数学の講義で感激した体験を教団信者に「いや実はね、大学の数学で『神』が登場しましてね笑、それがもうケッサクなんですよ笑笑、それがねー、あーだこーだ・・・」とペラペラしゃべっていました。聞き手の信者がどう感じていたかのは分かりませんが、私自身はだれかに話をしたくてムズムズして仕方がない、それぐらい込み上げてくるうれしさ、楽しさがあったわけなんですよね。幼いと言えばそうかもしれませんが、自分にとってはある意味でとても勇気付けられる知的興奮の瞬間だったということです。まあとりとめのないエピソードでしたか。フフフ