「あなたの霊的な目標は何ですか?」これは教団の親睦会における定番の質問です。子どもたちが参加する親睦の集まりでは順番に自分の霊的な目標を言わなければならないこともあります。教団のフルタイム奉仕者など組織上の肩書を並べることが予定調和になっており、そういう立場に関心が無かった私は明快に返答することができず、いつももじもじしながら「特に無いです・・・」としどろもどろになってお茶を濁していました。そういう曖昧な態度自体がその場の空気に水を差す。公開講演者らを交えた食事招待の時間は息が詰まるようで、私は大人の教団信者たちがワイワイ騒いでいる片隅で小さく縮こまっていた口でした。
少し大きくなった高校生の頃、教団のあるレクレーションで、子どもたち一人ひとりに「将来の目標は何ですか?」と書かれた質問用紙を渡され、記入して提出するというあまりうれしくもない企画がありました。幸か不幸か、そのころまでに私は大学で絶対に宇宙や物理の勉強をしたいという気持ちがガッチリと固まっており、みなぎるようなやる気で生命力のバロメーターが振り切れていました。それで「将来の目標は何ですか?」という質問に対して、あろうことか「科学者」と書いて提出してしまったのです。クスっと笑ってしまいますよね。
子どもらしい振る舞いだと思いますが、教団管理職の男性信者がその回答用紙を掴んで私のところに持ってきて、「コレ本気???」と戸惑いと嫌悪が入り交じった表情で尋ねてきました。私は「はい本気です」と素直に答え、冷たく気まずい空気が二人の間をヒューと流れていきました。そんな余計なことなど書かず、教団の発展に寄与する立場・肩書でもシレっと書いておけばその場を穏便に済ませられたと思いますが、本心とは異なる回答をするのはかえって偽善的で気が引ける、まあ自分の夢を正直に書いたというだけのことなんですよね。ある一面から見るとあまり賢い態度ではないかもしれませんが、しかしウソはついていない。
子供らしい自分の目標や夢を素直に語ることが難しい独特で奇妙な空気。その中での予定調和的な質問に回答するという台本通りの演出。無論、この予定調和を崩すと穏やかならぬ空気が流れ出す。それぐらいのことは敏感な子どもなら瞬時に察知する。だから周囲の大人たちが期待するような模範回答を提供しようと努力する。しかし、こんな薄っぺらい処世術を幼いうちから心身ともに染み付けるというのは如何なものだろう。
私は子どもの時の夢を多少叶えたので、そんなこともあったなーと子どもの頃を懐かしく振り返ることができるわけですが、その場の空気に迎合し自分の意志とは異なる方向に誘導されるままに任せていたら現在とは全く異なる心境にあるだろうと思います。善意の気持ちから出たアドバイスであっても、誘惑や思わぬ落とし穴になることがある。夢や目標を叶える道のりを見極めることはとても難しいことは確かだ。というより実際のところは、無我夢中で歩み続けて、振り返って見たら道ができていた、いつの間にか点と点が線でつながっていた、大体そんな感じではないでしょうか。