ノアの大洪水とは、聖書の最初の書、創世記に登場する洪水伝説のことです。概略を書くと次のようなものになるでしょう。
地が悪と暴虐で満ちた時、それを憂いた神が、全地を覆いつくす未曾有の大洪水で悪と暴虐をこの世から一掃すべく、義人ノアに大きな箱舟の建造を命じた。箱舟の長さは300キュビト(約133.5m)、幅は50キュビト(約22.3m)、高さは30キュビト(約13.4m)という巨大なものだった。忠実なノアは100年かけて巨大な箱舟を建造し、その箱舟に自分を含む家族8人と、神に命ぜられるまま種類ごとに二つがいもしくは七つがいの僅かな数の動物たちを収容した。そののち箱舟の扉が固く閉ざされた。7日後、ノアの生涯の第600年目、第2の月の17日、天の水門が開かれ、水の深みのすべての泉が破られた。40日40夜バケツをひっくり返した猛烈な雨嵐で、水かさはぐんぐん増して行き、とうとう天下の山々を飲み尽くし、全世界が水没するに至った。義人ノアとその家族、箱舟に収容された動物たちを除いてすべての地上生物を洗い流し、あらゆる生命が息絶えた。150日の間、水は地にみなぎっていたが、そののち水は次第に少なくなっていった。第7の月、箱舟はアララト山に漂着した。その後も水は減り続け、第10の月の1日、山々のいただきが現れ始めた。それから40日後、ノアは箱舟の窓を開けカラスを放った。しかしカラスは降りたつ場所を見つけられなかった。次にノアはハトを放ったが、やはり降りたつ乾いた地を見つけられず、箱舟に戻ってきた。さらに7日後、もう一度ハトを放った。すると、むしり取ったばかりのオリーブの葉を口ばしに咥えて戻ってきたので、ノアは水が引いたことを悟った。年が明けて第1の月、水は地からはけ、地は乾いた。第2の月の27日には地はすっかり乾き、神はノアに箱舟から出るように命じた。ノアとその家族は箱舟から出た。そして動物たちもまた箱舟から放たれた。
細かい数字はともかく、キリスト教の信者かどうかを問わず、広く知られたとても有名な聖書のエピソードの一つだと思います。私にとっても幼いころから非常に馴染みのあるエピソードでした。「そういう前代未聞の出来事が過去の地球の歴史で起きたらしい・・・」、子どものころはそれほど深く考えず、単純かつ漠然とそんなふうにとらえていました。その後、生物学を多少勉強し自然科学に関する知識が増して行くにつれ、生物進化とノアの大洪水の間には深い因縁で結びついているのではないだろうかと考えるようになっていきました。
どういうことかと言いますと、例えば動物のゾウを一つ取り上げてみる(特にゾウに限定しなくても良い)。一口にゾウと言っても、アフリカゾウ、インドゾウ、アジアゾウ、ナウマンゾウ、マンモスなどいろんな種類のゾウが存在し、乾燥地、熱帯地、温暖地、寒冷地、それぞれの地域の気候特性、自然環境に適応した形態になっていますよね。それらたくさんの種類のゾウも歴史をさかのぼるとすべて箱舟から出てきた二つがいのゾウの先祖に辿り着く(ゾウはひづめが分かれているが反芻しない動物)。この箱舟から出てきた二つがいのゾウがどんな姿だったのか分かりませんが、あらゆるゾウの先祖となり、ゾウと呼ばれる生物の歴史はすべてここからから始まった。大洪水ののち、そのゾウの祖先が箱舟から放たれた後、多種多様な気候特性や地域環境に適応できるよう形態を変え、繁殖を繰り返し各地で繁栄していった。その間わずか数千年。これを生物進化と言わずしてなんと言うのか。全世界が水没する全地球的なノアの大洪水があったことを仮定するなら、自動的に生物進化も認めなければならないのではないか。「種類を越える進化はないはずだ、神は生物を種類ごとに創造されたからだ」とは言いますが、では創世記にある創造における生物の「種類(もしくは「種」)」と現代科学が語るところの生物の「種」というのは同一なのでしょうか。同一だと言うならどうしてそう言えるのでしょうか。「聖書は科学の本ではない!」というなら、宗教的見地から科学が語るところの生物進化における「種」の在り方について一切の口出しは無用でしょう。
私がまだ若き青年の頃、教団の信者にそんな自説をペラペラお話ししたことがあります。そのときの信者の反応はさまざまでしたね。「なるほどなあ」と感心する人もいれば、「絶対認めん!」と感情をひどく害した人もいました。そういう進化(あるいは変化)を事実として認めれば、サルがヒトに進化したという考えも遠からず認めることに結び付くからだというのが理由でした。
私自身は我々人類がサルから進化したということを認めているわけではありませんが、異論はあるとは言え現在でも全地球的なノアの大洪水があったのではないかと思っているので、同時に環境適応型の生物進化も容認しているわけです。サルからヒトに進化したことを認めなくても聖書の神の存在と生物進化は十分共存できるんじゃないだろうか、ザックリそんなふうに私は受け止めているのですが、皆さんはどのようにお考えでしょうか?