世界には何千もの言語があって、言語が人の感覚を形作るという話を聞きました。

例えば青色のグラデーションに対する表現をたくさん持つ言語では、その微妙な色合いの違いを感じやすくなるというのですから日本人である私たちもまたそうでしょうか


日本は藍色だけで48種類もあるのですね

また冠詞を女性男性と区別する言語では、月が女性か男性かで月そのものの感覚的な捉え方が変わる。というのです。

音楽がことばのように聴こえること。ことばのイメージから音楽が聴こえること。これはいつも私たちの隣にあることだと思います

そんな音楽と言葉、非言語と言語や、対義語や反対語も音楽の最中ではお互いを含み合い、また前後やリアルによって辞書にはのっていない第3の関係や意味を成すように感じます

日頃とは違い夏休みを使いワンレッスンで来てくれる生徒さんたちとも一緒に勉強するなかで、目に見えないいろんなことを話し合います。私はこの時間がとてもすきです。



ベートーベンでの前回のレッスンは、再現部に向かう最後の16小節から。嵐のようにもがきもとめた先に、再生への道をあるきはじめたやうな一瞬の解放を感じられるものの、そんなことはなくて。ああ、これはまた厳しい日常の始まりなんだ、そしてまた続いていくんだ...と感じられて私には再生へ続く道だなんて到底思えない、試練の始まりのようなところ。

長調なのになぜこんなにも不安を掻き立てられるの?かえって長調のせいでさらに終わりの見えない不安を掻き立てられている感じ。なのになぜ抗い歩き続けるのかな、それは運命ではなくベートーベンのこうするんだという使命だったり、と想像は次から次へと。時にハラハラしたり、苦しくなりながら、今の精一杯になりますが一緒に紐解き音へと繋げていきます

目には見えないし、私たちがお互い見ているものや色はおそらく違うけれど、心を通わせ目には見えないスクリーンを通して行うレッスン

主人公と共に胸を痛めたり、救われたり、覚悟を決めたり、読書と同じです。物語を読み進めるように私たちはピアノを弾きます

音と音の行間から感じられるものについても随分お互いに話をしました。また例えばベートーベンがクレッシェンドと書いてないここは、音型があがっていてもなぜ感情や勢いに任せてクレシェンドにしないほうがいいのか、それをベートーベンという人についてを学び知ることで納得してもらったり、楽譜を見てその先になにが待ってるのかを確認して今は共に耐えて欲しいと伝えたりもしました。

なぜペダルを踏んでほしくない部分なのか孤独の響きをいっしょに想像してみたり。もとめたり。もちろん指示も出すことも多くあります。ひるんじゃだめ、どんな気持ちで逆風に向かってるかだけを考えて、と伝えたり。この強さは、抗いなのか、希望なのか。テーマはなんだったか思い出して、と、ひとつのことに向き合うなかで私たちは私たちだけのスクリーンを通して進めることがとてもとても多いのです。

音楽的緊張と緩和によるもののなかで、内なる声に耳を傾ければ、共鳴するなにかを感じられるはずと私は想うからこそ、どんな人なのか少しずつ興味を持って作曲家について学んで欲しいと伝えています

年齢によって楽しく。



これは教室の日替わりイラストで

生徒さんたちが書いています。かわいくてわかりやすくて🩵




私はイラストつきで簡単にかこうねとすすめています。イメージしやすく観察する目で学べると思うから。



じっくりも楽しいけれど隙間時間の継続でも楽しく学べます。今、役に立つようにと学んでいますが、もしかしたら後で役に立つこともあるから。

そうして作曲家のひととなりを知ると、例えばここはするするといかずに、不器用さが持つ素朴さや人間をあらわすために書いてるのかも知れないな、ということにもなります。そういう時間が楽しい。レッスン室で世代を超えてふたりこころを動かし探求し、頭を働かせ、五感、六感と働かせて、ピアノは指だけで弾いてるのではないと感じられるそのような楽しさを感じる時間をすごしています。

もちろん年齢によっては、ここは胸キュン🤍だよ!今週の合言葉は『息を整えて、胸キュン!』ね。なんていうことも、ビーム!👀だよ!ビームでてないよ!ということも、好きな人に好きをそんな風に伝えるの?と問いかけて2人大笑いして歌い方やこめる感情、音色を改めたり。賑やかにもしています。できるだけ楽しくわかって帰ってもらいたいから。



中学生の生徒さんが日曜日、ショパンの楽譜をしまいながら、呟いていました

『小学生のときにはここまで思えてなかったと思う。おもしろいし、めちゃ楽しい。笑』ちいさく笑う横顔。

次回は美しいを、美しいね。で終わらないところ、

心が傷ついたひとが、光る美しいものにふと触れて、それを震えながらも持って、こころが涙するような。そんなところ、いっしょに感じたいと思いながらレッスンをおえて。

小学生も中学生以上のみなさんも等しく、レッスンに辿り着くまでには、それぞれたくさんのピアノの時間が必要だったと思います。ピアノを習うことで能力が上がるという話を聞くと、すごいな!と思いますが、私は今日書いたようなところから、作曲家から人として学べるものは大きいと想いそういうことをこころで大切にしています。歴史に学ぶという感覚にもどこかある面では似ているような気がします。

ひとりひとりの歩みに寄り添い、取り繕うことなく共に音楽をする、そう思いながらみなさんを迎えています。




最後に。生徒さんがこんな言葉をくれました

月曜日、レッスンの終わり、『今の自分のホームは大阪やと思う。でもさおり先生はずっと変わらへん。俺のふるさと。』

話の前後関係なく、思いもしない突然の言葉に時間が止まり言葉にならない気持ちになりました。素朴な声で伝えてくれた言葉はかけがえのない贈り物。感謝して🌹




『やったー!先生部屋の端っこに走っていったー笑』は教室のみなさんしかわからない私の感動の行動です

発表会が近づき増えてきました


今日はいつもよりゆっくりと中学生の女の子とラフマニノフを学ぶことも楽しみにしていました。みんなが集中できるように教室涼しくして、待ってます🍉

みなさん、暑いなかいつもありがとう。

教室のブログなのに、かき始めれば今日は私の個人的なブログになりました。次はみなさんのことを書きますね📝




昔、彼女にソナタ形式はハンバーガーで伝えたそうで笑っていました🍔今回はイチゴサンドです🍓