今月は、私にとっては【予想もしない緊急】がテーマの月でした。今月(6月)とは、7月5日までのことを指します。
 今日で6月が無事に終わりそうなので一安心しておりますが・・最終日の今日 自体も【予想もしない緊急】がテーマですので、私にとっては今月と今日のテーマが、ダブルで重なるクライマックスのような日だと・・朝から受け止めておりました。
 どうしてもクルマで出かけなければならなかったので、ドキドキしながら、恐る恐るハンドルを持ち出発しました。

 クルマの運転は、いつもですと自転車に乗っているような感覚で楽しいのですが、今日は意識して構えて運転しましたので、緊張して手が震えていました。

 まず、駐車場から出た道を自転車を押して歩く高齢者がずっと道路の真ん中を歩かれてましたので、歩道側に行かれるまで停止して止まる。暑くて車の音が聴こえなかったのでしょうか。こういう場面は 初めてです。
 
 次に私の前方の軽トラの前方に自転車が後ろを見ずにゆっくり普通に横切るので、軽トラの方が怒り心頭していたのか自転車に幅寄せされておられましたが・・自転車の方は、どこ吹く風な様子で、タイミングによっては、自転車側が、死亡していたかもしれないのに・・こういう人が、いつかツケが回って事故死するのだなと思いました。

 そして、大きな国道3号線に左折してしばらく走っておりますと、信号が黄色になり、いつもでしたら、そのまま走り切るのですが・・

なんだか とても嫌な気持ちがしてブレーキを踏んで信号待ちをしますと・・目の前の交差点、左、角のビル裏側から クラウンのパトカーが右折して行ったのです。
とらえ方によっては、今日から交通安全運動が始まり、ノルマのあるパトカーでしたら取締を受けていたのかもしれません。

 そして、地下鉄駅前で信号待ちしておりましたら、自動販売機前に1人の男の人の周りを沢山の警察官が取り囲んでおりました。こんなに沢山の警察官が取り囲む場面を生で見ましたのは初めてのことです。
警察官も交番の巡査でしたら、盲信によるセコい 不合理的な取締りで、江戸時代の岡っ引きのように 手先となって市民に恨まれる 取り締まりを しなければなりませんし・・
 刑事でしたら、体を張って犯罪者に立ち向かわなければなりませんし、毎日、犯罪の件の話を聞かなければならない仕事。。警察官も大変ですね。。


 
 最後の極めつけは、今日のお客様の御一家が、お医者さん御一家だったことです。
お医者さんは、緊急な対応をしないならない危険と隣合わせ。。 
なるほど、不吉な事柄だけではなく、関わるお相手自体も【緊急】がテーマの人生の方だったのだと・・あらゆることが、今日のカテゴリーに一致していると思いました。

 いずれにしても、あらかじめ事前に今日の日を覚悟しておりましたので、これで、天から与えられたテーマを無事に こなせることができたのかな?・・と ホッと 致しているところでおります。
  
 予想もしない出来事に遭遇がテーマについて改めて考えてみましたら・・
あの手この手で私を沢山ゾッとさせていただき・・私のためにこんなに緻密に数秒の狂いもない場面をご用意していただける高次元の神様とは、やはり、人間では計り知れない次元体であることが、よくわかりますし・・
 それが また、他の方々と数珠のように繋がった状態で、地球上で生きている全ての人々の心臓を動かしながら、同時に数秒の狂いもなく全ての人のテーマが狂いもなく、噛み合うように与えられているのですから・・
本当に偉大な存在なのだと思います。。

 テーマを1つ1つ 大切に受けておりますと、どれだけ普段、天から深く守られながら、生きれているのかが、身に沁みてわかります。。
 毎日が、楽しいことばかりの楽天的な人生でしたら、そういう有り難みは、感じにくいのでは・・と思います。

 お会いしました皆様にテーマをお伝えします私は、ある意味、高次元 世界の窓口のような立ち位置なのでしょうか・・

 事柄としての【予想ができないテーマ】とは、出くわす相手が【急いでる】 又は、【自分のことで精一杯】で、【他者への配慮】ができにくい状態だからこそ、成立することなのが、このようなテーマの日に身をもって理解することができます。。←ちなみに、この句読点の○←
今の若い人たちは、嫌みたいで、LINEなどの私的のやり取りでは、付けないそうです。
 。←は、厳しさや気持ちを引き締める、冷酷な波長を与えられた気持ちになるそうなのです。
 それは、一理あると思います。私も昔からそう思っておりますので・・40年以上前から、なるべく、このような【 。 】で終えず、最後は可愛い何かの目に見える【。。】で終わることにする事もあるのです。
 ですが、公的なやり取りでは、【。】を2つ付けるのは、よろしくないと思います。
皆さまとのご予約のやり時は、【。】1つで終えております。

 若い方は、それに加えて【、】もつけないそうですので、びっくりしてまいます。
句読点をわざわざ打つことは、面倒くさくて 無駄な不合理的な動きだと解釈されてしまうのでしょうか?もしくは、国語のテストの時だけ、よく考えて句読点を付けるのでしょうか?

 【、。】などの句読点というのは、間を取ることで、その人の呼吸の息遣いといいますか・・
 細かな心情や心遣いを表せる事ができる大切なアイテムだと私は、思いますので、句読点が全くないというのは少々、味気ないように思います。。