最近、ブギウギを録画して視聴しております。

NHK朝ドラマを視聴しておりますのは、1983年おしん、1984年澪つくし、1994年春よ来い、以来、お久しぶりの事でございます。

 なぜ、ブギウギを視聴して おりますかと云いますと、主役の趣里さんの一生懸命さが、とても伝わってくるからです。


 以前から、朝ドラオーディションには、御両親のことは名乗らず、自力で何度も挑まれては、落選されて・・この度の朝ドラが、オーディションを受けれる年齢制限ぎりぎりの歳となった為、最後のオーディションとして挑まれ、見事に主役を獲得されたそうです。


 以前、この趣里さんについて、お父さまの水谷豊さんが、趣里さんについて・・「お休みの日は家から一歩も外出することなく、宅配のレンタルを観ながら過ごしている。お家では、お母さんの伊藤蘭さんのことを「お母さま」と呼ばれているほど、絵に描いたような静かで淑女的な東京のお嬢様」だと、何かの番組でお話されてましたが・・故に、普段の性格とは真逆の明るく気さくで、関西弁の声大きくパワフルなキャラクターを 御自分の殻を容赦なく朝ドラで 破り捨てて、むしろ、’’ どうにでもなれ‘ ‘的な意気込みで挑まれてる思いが、とても伝わってきまして、ドラマの内容というよりは、今日も どれだけ自我を破り捨てて、‘‘ どうにでもなれ的‘ ‘に捨て切った演技をなさるのだろうか?と日を追って毎日 視聴してしまいます。 

   人間というのは、恥ずかしさや、守ろうとする自我を捨てて前に進もうとしますと・・阻害する心の中の悪魔を倒し、思わぬ潜在的な底力(そこぢから)が湧かせながら、あらゆる能力を瞬発的に発揮して問題解決や新たな世界の扉を開いたり・・

すごい事ができてしまうものです。


 中途半端ではなく、しっかり自分自身を追い詰めていくことも、時には とても大切な作業の事のように この趣里さんの意気込みを拝見しながら、思わされます。

 それを中途半端で止めてしまうと、いつもの進めず止まってしまう場面に戻ってしまい、八方塞がり、行き止まりのように前へ進めない状態へと、時間が止まったような状態になってしまうものですよね。