日の出の行方が、人生の始まりと終わりを物語っていると先日お伝えしましたが、それは、形の世界のことであり、肉体の始まりと終わりのことを指します。
では、私たち 、魂(心)のこの世の人生の始まりと終わりは、日の出の行方と同じなのかというと全然違います。
赤ちゃんは生まれた時は、心はつぼみではなく、すでに大きな感情を持って泣きますよね。大きな感情が生まれた時から備わっているのです。人の魂(心)が目指す方向は春夏秋冬ではなく、南から北の方向です。
心は生まれた時から情熱的で、70、80歳になっても
心は歳は取りません。
肉体は動かなくても、心は精神疾患がないかぎり、情熱的で体が動かないことにだんだん焦りを感じるようになるのです。体だけが、秋や冬に向かおうとしていることを心だけ南にずっととどまっている状態からみると、
焦りと不安を感じるようになるのです。
心が北に向かってしまった時は、余命を知る時か、亡くなった時です。年齢は歳をとってその歳にふさわしいふるまいをしようとその年齢の自分なりのイメージの表現をするのかもしれませんが、結局、心そのものは歳を取らないのです。
心も肉体と同じように春夏秋冬に向かうのでしたら、
人とのトラブルも悟りきって なくなるでしょうし、枯れ葉のように諦め感が出てきて、それほどの悩みがなくなります。実際の高齢者はそんなことないです。
とても煩悩にあふれていて元気ですね。
稀に歳を取ることに焦らない人もいますが、
それは頭脳の知性がただ働いていないだけなので、
おめでたいだけなのです。
生きている間は、魂は南に居て、亡くなる前後に北に移動するとなりますと、人生後半から、肉体が心に付いて来なくなることへの自分自身との葛藤が待っているということですね。
なるべく肉体を春夏秋冬へ変化させないようにできれば、いつも夏の太陽のような姿で努力して居たいものです。