「じゃあさ、君は、私のためならさ、死んでも……いいんだよね?」
僕の聞き間違いかもしれない。できることならそうであってほしい。でも確かに彼女はそう言った。
「ど、どう……いうこと?」
僕はわけがわからなくなって彼女に尋ねる。すると彼女はいつものように、くすっと微笑みながらこう言った。
「嘘だよ」
「え?」
「死んでなんて嘘だよ」
「へ? そ、そうだったの!? なんだぁ、僕本気かと思ってびっくりしちゃったよ!」
「えへへ、ゴメンね」
「ううん、大丈夫」
よかった。よく考えてみれば彼女が本気でそんなことを言うはずもなかったんだ。
「ねぇ」
「何?」
「ほんとに私とずっと一緒にいてくれるんだよね?」
「うん、一緒にいるよ」
「約束してくれる?」
「うん、約束する」
「じゃあ……」
何がおこったのかわからなかった。『ちゅ』っという音が聞こえて、ほっぺたに柔らかいものが触れた感触がして、それが彼女の唇だと気づいたのはずいぶん時間がたってからだった。
「え、えぇっ!?」
僕は思わず混乱して取り乱す。
「な、何するの!?」
「約束の叶うおまじない」
そう言って彼女はまたくすくすと笑った。僕は顔を真っ赤にさせてうつむく。恥ずかしさで、彼女の顔を直視することができなかった。
「大好きだよ」
彼女が魔法のような言葉を僕に投げかける。甘くて、切なくて、愛しい感情が心の中を渦巻く。そして気がつけば、さっきまでの恥ずかしさなんて全部消え去っていて
「僕もだよ」
そう言い返していた。
胸が幸せな気持ちでいっぱいになる。彼女さえいれば生きていける、本当にそう思えた。
辺りを見回すともうすぐ日が暮れる時間になっていた。茜色に染まった空がとっても綺麗だった。
「僕、そろそろ帰らなくちゃ」
「うん、そうだね」
「じゃあ、また遊びにくるから」
「うん、待ってる。ずっと、ずっと待ってる」
「それじゃ、またね」
「うん、バイバイ」
いつものように大声で叫び、大きく手を振りながら彼女と別れた。
彼女にキスされたほっぺたが熱い。まだ胸の高鳴りがやまない。
ドキドキを抑え切れないまま走りながら帰った。彼女の一挙手一投足で僕の気持ちは大きく揺れ動いた。
そのせいなのか、僕の注意は散漫になり、周りに目を向けることができなくなっていた。
気がつけば僕はあの公園にいた。小高い丘の上にひっそりと存在している、いつも彼女と一緒に遊んでいた公園。
どうやってここまでやってきたのかは覚えていない。自分でここに来たというよりは、足が勝手に動いて自分をここに連れてきたと言ったほうが正しいと思う。
いつもなら寄り道をすることなんかなかったけど、この日は違った。自分の意思ではなく、誰かに後押しされるように、公園の方向に歩みを進める。
古びた遊具、乱雑に生えている雑草、周りを取り囲む雑木林。そして崖。町を南北に横切る道路に沿って作られた公園だから、東西側は舗装されてなくて山肌は剥き出しになっている。
「……メ、ダメだよ………」
僕がその崖に近づくと、声が聞こえた。彼女の声に似ている。でも、違う。この声からは、もっと……もっと懐かしい何かを感じる。
そして、そこには小さな女の子が立っていた。彼女にそっくりな、けどどこか違う。
でも、確かに僕はこの子を見たことがある。
「ダメ、来ちゃダメ……」
ダメって、なんで? 目の前にいる少女に問い返す。
「ダメなの……来ないで!」
でも、足が勝手に動くんだ。
「違う、それはあなたの意思じゃない」
そんなこと言われてもこれは僕の意思だ。僕が進みたいから進んでる。
「……お願い」
そこで彼女の様子が変わった。夜空を見上げて、呟くようにこう尋ねてくる。その顔はとても悲しそうで、でも優しく、笑っていた。
「……ねぇ、夜になるとお星様やお月様が空に出てくるよね。何でか知ってる?」
僕はその答えを知ってる?
「うん、知ってるよ」
それは……それは、僕たちの代わりに……
「お願い、思い出して」
…………夜には会えない僕たちの代わりに、遊んでくれてるから……
そう言いかけた途端、僕の足は棒のように動かなくなり息ができなくなった。
そして違う声が聞こえる
「……やめなさい」
低く頭の中に響く声。彼女の声だ。何で? 何が起こってるんだ?
目の前にいる彼女にそっくりな女の子。そして、さっきまでお花畑で遊んでた女の子。
どちらも同じ顔、同じ声だ。
でも違う。そこで気づいた。
僕は二人とも知っている。
今、目の前にいる女の子は、この公園で出会って、そしてここで一緒に遊んでいた子。
そして頭の中に声を響かせる彼女は、お花畑で遊んでた、最近様子がおかしかった彼女だ。
わけがわからない。今まで一人だと思ってた女の子が二人も居たのだ。
つまり、僕が公園で遊んでた女の子と、お花畑で遊んでた女の子は違う人ってことなの?
でも何で、どうして。
「もうやめて、心音姉さん」
公園の女の子が口を開いた。お花畑の女の子は心音(しおん)という名前らしい。
「……黄泉」
今度はその心音。公園の女の子の名前は黄泉(よみ)。どうやら二人は双子の姉妹みたいだ。
「どうして姉さんはこんなことをするの? この子は何にも関係ないんだよ?」
「……あなたは何もわかってない」
何を話してるんだ? 僕に何をしようとしているんだろう。
「それに、あの時の恨み、あなただって忘れたわけじゃないでしょ……」
「……っ、それは…………でもっ!」
「……聞き分けの悪い子ね」
一筋の風がひゅーっと目の前を走り抜ける。その勢いに思わず僕は目を閉じる。そして目を開けた瞬間、そこにはお花畑の女の子、つまり心音がいた。
見た目は子供のままなのにやけに口調が大人びている。
そしてその出現と引き換えに、黄泉の姿はそこから消えていた。その存在を感じられるのは頭の中に響く声だけ。さっきまでの心音と立場が全く入れ代わっていた。
「ねぇ」
心音が話しかけてきた。
「……なに?」
「さっき、約束したよね」
さっき……そう、僕は彼女と、心音と確かに約束した。ずっと、一緒にいると。
「……うん、した」
「私たちとあなたでは住む世界が違うの。それはもうわかってる?」
もちろんわかってる。そうじゃないとこんな不思議なことがおこるはずがない。
「だからね、約束を守るためにはあなたもこっちの世界に来ないといけないの」
「……どうすればいいの」
頭の中から
「聞いちゃダメ!」
と言う黄泉の声が聞こえる。でも僕の心と体は、まるで操られているかのように心音の言葉しか聞いてない。
彼女は不敵な笑みを浮かべている。幼いのにどこか妖艶なその表情に引き付けられるように僕は歩みを進める。
あとになって考えれば、このままいけば崖から落ちてしまうことは一目瞭然だった。
でもこの時の僕にはそんな余裕はなかった。理性で判断する前に本能的に体が動いていたからだ。
「そう、あと少し」
「ダメ! もう……やめてっ」
二人の声が頭の中を行き交う。もうどっちがどっちの声なのかもわからない。今の僕は、ただ、足を1歩でも前へ運ぶことだけに集中している。崖まであと数歩。
「姉さん、やめて……」
「……黄泉、仕方のないことなのよ」
そして次の瞬間。僕の世界は一気に反転した。体が重力に逆らうことなく引き寄せられる。
落ちるというよりも、体が浮遊するような感覚だった。
ここから落ちれば間違いなく死んでしまうであろう高さ。それなのに僕の心は、月夜の湖の水面のように落ち着いていた。
心拍数はいつものままで、ドクドクと一定のリズムを刻んでいる。一瞬で終わるはずのその瞬間が永遠にも感じられた。
ふと頭の中を駆け巡る光景。彼女と、黄泉と初めてこの公園で出会った日、そして彼女と、心音と初めてお花畑に行った日。
本当に楽しかった。ずっとこのままでいられたら、どれだけ幸せだろうかと思った。
二人と遊んだ毎日は、こんなことになった今でも大切な思い出のままなんだ。
彼女達のために約束を守り、例え死んだとしても、ずっと一緒にいられるならそれもいい。そう思った。
だから僕は崖の上を見上げた。そして、心音の顔を見て微笑み、こう言った。
「大好きだよ」
僕が最後に見た光景、それは顔を歪めて恨めしそうにこちらをにらむ心音の顔。そしてその顔が涙に滲む瞬間だった。
黄泉の声が頭に響く。でも、もう何て言ってるのかさえもわからない。僕の意識はそこで途絶えた。